第1章 熊石町の自然、地理
第1節 位置と範囲・地勢
熊石町は北海道の南部渡島半島の頸部に当る部分のうちの最狭部に位置し、桧山支庁爾志郡に属し、東は乙部町、西は久遠郡大成町、北は渡島支庁管内八雲町に隣接し、南面は日本海に臨んでいる。その経緯度は東の乙部町との境界(乙部町字豊浜と本町願掛沢との中間)は東経140度04分50秒で、西は字関内ポンモシリ岬をもって大成町字長磯に接し、その西端は東経139度55分36秒である。また、緯度は南の日本海の接点が北緯42度03分36秒で、北は遊楽部岳に近い八雲町との接点北緯42度08分00秒である。その間東西20キロメートル、南北12キロメートルで、全町面積は220・02七平方キロメートルである。
沿革
熊石町は、その地名がクマウシというアイヌ語に発しており、語源は「魚乾竿ある処」(永田方正著『北海道蝦夷語地名解』)と訳す如く、山海の魚族、生産物多く、特に鰊(にしん)は万石場所と言われる如く豊漁の地であった。
町内には多くの先住民の遺跡があり、特に鮎川洞窟遺跡は昭和41年の国道拡幅改良工事で発見され、緊急発掘調査の結果、体内にメノウ玉を埋め込んだ土偶が発見され、古代美術の粋として文化庁買い上げとなるなど貴重な遺跡が多く残されている。
当町に和人が定着した時期については、永仁4(1296)年異域布教を志した日蓮上人の六老僧の一人、駿河(静岡県)永精寺の日持上人が、箱館東在石崎、箱館、上ノ国から当町黒岩に巡錫し、ここから大陸に向けて船出をしたといわれるので、この時点においてはすでに和人の定着の始まった時期であると見ることができる。また享禄2(1529)年西部瀬田内大族長タナケシの変の際、これを攻撃した松前大館主蠣崎義廣(松前家第三祖)の首将工藤祐兼は戦死し、その弟工藤祐到(すけとき)は熊石に逃れ、海岸のなかの巨巌に身を隠したところ雷光とどろき、黒煙と暴風が吹き出しその神助を得て一命を全うし、後、八雲神社として崇敬を集めたが、このような伝説が口碑のなかに残されたことは、この時期すでに和人の定着を意味するものと解することができる。
近世初頭(1600年ころ)蝦夷地唯一の藩である松前藩が設けられると、和人地の北限として熊石が重視され和人地、蝦夷地の接点である相沼内番所が設けられて出入人を検査したが、和人が相沼を越えて泊川、熊石方面に多く定着するようになったことから元禄4(1691・294年前)年には、番所を熊石に移し「熊石番所」とし、単に出入人の検査のみならず、不正交易の監視、追鯡(おいにしん)税役の取り立て等も行った。
熊石はまた越山(えつざん)地としても知られ、松前藩領内で藩臣、庶民を問わず重罪を犯したものを流刑したが、門昌庵事件の柏巌和尚もその一人である。松前家の菩提寺である法幢(どう)寺第六世住職柏巌峯樹和尚は松前家第十世藩主矩廣の忌諱(きい)に触れ、延宝5(1677―308年前)年熊石に越山を命ぜられ、その居住の庵寺が門昌庵である。同6年柏巌和尚は処刑されたが、その死後、怪奇な事件が続発したので門昌庵の崇(たた)りとして、道南の庶民に語り継がれ、門昌庵は熊石町の代名詞となっている。
熊石町に寺社が創建されたのは、本町部分の鎮守神根崎神社の慶長11(1606)年をはじめ、寛文5(1665)年彫刻僧円空の作像を御神体として創設された相沼、泊川北山神社、また寺院も、元禄、享保期(1688―1735)に多く創建されているが、これは故国を遠く離れ、新開の土地に定着した住民たちにとって、漁の豊凶、天候異変等を神仏の加護によって安泰を願う念が強く、また出身の故郷をしのび社寺の創建に協力し合った。これは定着した村民の生活が安定し村造りに総力を結集していた証左でもある。また村人たちは享保6(1721)年5月法蔵寺境内に「山海漁猟群萠下種結縁為菩提也」という供養碑を建立している。鯡(にしん)をはじめ豊富な魚族に恵まれ、山野の木霊、山菜等は住民に限りない仕合せを与えてくれることに感謝供養するとともに、さらに豊漁万作を願う素朴な村人の姿をうかがうことができる。
ようやく村造りが軌道にのってきた熊石村にとって、村を完全に崩壊する大災害が起き上った。それは松前大島の噴火と、それによる大津浪であった。寛保元(1741―244年前)年7月16日折から旧盆を迎え村民は盆踊に興じていた最中、突然松前大島が大爆発を起し、降灰は夜空をさらに暗くした。村民は神明社に集まりひたすら平穏を祈っていたが、同月19日の午前5時ころ松前弁天島から西方120キロメートルの熊石までの間、推定波高約10メートルの大津浪がどっと押し寄せた。この大津浪の被害は領内合せて溺死者1467人、家屋の流失790戸、破船渡船1521艘に達していて、城下を除く西在諸村の人口の一割が死亡しており、特に熊石村の被害は大きく、相沼無量寺過去帳によれば、相沼、泊川地区の死亡者だけで110名に達しており、推定では住民の三分の一程度が死亡するという壊滅的な大打撃を与えた。しかし、村民はこの惨禍に臆せずたくましく再建に働らき、特にその年、東津軽から山田甚五右衛門が泊川に移住し、3年後には能登蛸島の人佐野権次郎が江差を軽て熊石に住み着き、これら有力者の助力もあって村は大いに拓けた。
封建松前藩の領有下にあって、乙部から熊石までの西在八か村のうちの西端相沼内、泊川、熊石の三か村は、各村に名主、年寄がおって村政を取りしきっていた。また一般住民は5戸を一組とした5人組合があり、そのうち一人が組合頭となっていた。名主、年寄は村内行事の取りまとめ、税役の取りたて、村民願書への加判進達等があったが、熊石村には天明3(1783)年から寛政12(1800)年まで17年間の村政を記した“熊石村会所日記”があって当時の様相をよく伝えている。
文化4(1807)年蝦夷地の支配者松前氏は、突然、奥州梁川(福島県)に移封され、その後は奥州六藩の出兵によって警備されたが、松前には幕府の松前奉行が置かれ、和人地の行政を直轄し、熊石村番所もその管理に属したが、15年後の文政4(1821)年には、松前氏が帰封した。その後、安政2(1855)年にはまた蝦夷地は幕府の直轄地となり松前藩は東は知内村から西は五厘沢(江差町)までの領有となり、他は東北六藩の分領支配となったが、熊石から乙部までの西在八か村は箱館奉行の直轄地となり、調役下役山田織之丞が熊石村番所頭取として西在八か村を統轄し、さらに住民の強い要望もあって、八か村の松前家の還付運動が大老井伊掃部頭への駕籠訴となったり、安政元年ころからの鯡漁業の凶漁は、禁漁となっている笊(ざる)網(大網)を場所請負人が使用した結果であると怒った熊石村を主体とした漁民が積丹半島まで大網を切断して廻るという事件もあったが、これらも幕末期の民意が封建勢力に対抗して出した一つの現象と見ることができる。待望の西在八か村の松前家帰属は、元治(1864)年許されたが、これも住民運動の盛り上りの成果である。
慶応4(9月8日明治元と改元)年5月幕府の大政奉還によって、蝦夷地は朝廷の箱館府が設けられたが、7月以降、東北地方は新政府の従属を快しとしない旧幕臣や大名が戦乱を起し、会津、酒田、秋田等の各地で戦闘が展開し、蝦夷地にもその余波が及びそうになり、加えて凶作、物価高に住民は恟(きょう)々としていた。
明治元年10月20日榎本武揚を首領とする徳川脱走軍が森村鷲ノ木に上陸し、同22日箱館付近に在留する政府軍と戦端を開き、ついに箱館戦争は開始された。同25日五稜郭の箱館府知事の清水谷公考(きんなる)は難を青森にさけ、蝦夷地にはひとり松前藩のみが残った。11月5日には松前城が落され、同15日には館城から江差までの間も脱走軍に帰した。松前藩主第十八世徳廣は、一時津軽逃避を決め、同19日夜半熊石村支村関内から目谷長左衛門の中漕船長永丸(二百石)に近臣、一族を乗せ決死の船出をし、終戦交渉は熊石村を舞台に行われている。
翌2年4月9日新政府の諸藩連合軍は乙部村に上陸し、三道に分かれて進撃し、4月17日には松前城を奪回し、5月18日五稜郭の榎本らは降伏して2年に亘る箱館戦争は終ったが、戦禍の中にあった村の復興は荷重なものであった。
明治2年8月15日蝦夷地は北海道と改称され、開拓使による本格的農業開発が始められたが、旧松前藩領は同年6月から館藩と改称され、さらに明治4年7月廃藩置県により館県となった。同年9月館県地域は変則的に弘前県に合併され、さらに青森県に属した。明治5年9月にいたり開拓使に帰属した。
明治5年政府は戸長役場の制度を定め、住民統治の基本として戸籍作製作業に入り、相沼、泊川、熊石の三村に戸長役場が設けられたが戸長は江差にあって、村用掛がその任に当った。明治10年には三村の戸長役場が熊石村に設けられ、同15年には熊石外二ヶ村戸長役場と改編され、明治35年4月二級町村制執行により熊石村となった。これら村の自治の新しい動きによって、同11年には雲石、泊川、相沼の三小学校が新築され、同12年には熊石郵便局、同13年には児島病院の洋風建造物が出来るなど、村も日を追うて近代化を急いだ。
明治から昭和にかけての熊石村の懸案事項は、漁業政策の基本である船入澗の築設、凶漁傾向にあった鰊漁業からの転換、国道整備と交通の充足が最大の緊急事項で、累代村長、議員はこの解決に努力して来たが、船入澗は12万3600余円の巨費と3年の歳月を得て、昭和9年2月2日完成した。また大正11年には見市、昭和3年には相沼内発電所が完成し、村内の産業、住民福祉、文化の向上に大きく貢献してきた。
昭和6年中国東北部の満州に発した満州事変は、昭和12年日中戦争へと発展し、村内の多くの青年が現役兵、召集兵として駆り出され、村も日に日に戦時色を濃くしたが、昭和16年12月8日には遂に太平洋戦争に突入した。村民は戦争の理非を超越して国家存亡の局面に立ち働き、また戦場の兵士も命を賭して戦い、戦況利なく昭和20年8月15日終戦を迎えた。
敗戦の衝撃から立ち直り、平和な村造りは昭和22年4月の村長公選に始まり、針谷為治氏が公選村長第一号として当選して、新町村制による村が発足し、着々とその実績を残したが、その間昭和22年6月には相沼町内で大火があり、市街の大半146戸を焼き、同27年8月にはキャサリン台風、同29年9月26日の台風15号で村は壊滅的大被害を受けたが、その都度、村民のたくましい復興努力によって復旧再生し、昭和37年5月1日には村民の待望久しかった町制施行が実現し、役場庁舎の完成と併せ、盛大な祝賀会が催された。
地質
我が国の地質で一番古いのは飛騨地方を中心とした地域で、その生成は、凡そ3億4000万年から3億2000万年前といわれている。北海道は日高山脈が古く6300万年前の新生代古第三紀といわれているが、道南地方の生成は3600万年前の第三紀漸新世といわれるが、熊石町の地質の最古のものもこの年代のものである。その熊石町の地質主核をなすものは第三紀中新世(2500万年前)から鮮新世(1300万年前)までに生成された福山層、吉岡層、訓縫層、八雲層、黒松内層等多くの地層が交錯して、さながら地質の見本のように多くの異質層序が見られる。これは、この第三紀層の時代に、本町の背骨をなす遊楽部の山稜地域が果敢な火山活動をし、地殻のクリオータ・ベイションが繰り返された結果であると考えられる。
熊石町で最古の漸新世の地層は乙部岳から相沼内川奥の突符岳、遊楽部の東麗、西麓及び一部は字相沼地域に突出している。
中新世代では福山層が相沼左岸段丘から冷水川にかけ、さらに冷水岳南麓に鉢巻状に展開している。吉岡層は冷水岳福山層の南に広まり、訓縫層は相沼内川左岸、熊石地域から関内地域の背後に迫っている。八雲層は相沼内川流域が主体で、黒松内層は相沼内川右岸の高地に展開している。また遊楽部岳の中核部と見市川右岸高地には深成岩類と古い地層を示している。このほか、関内川上流の地域では一部波紋岩が突出している。また熊石中央部の段丘部には中新世末葉の新期火山噴出物の堆積が認められ、海岸部の多くは更新世の海岸段丘堆積物となっている。
海岸段丘の状況(字黒岩より)
この地層、地質は漸第三紀層では粘板岩、砂岩、チャート、輝緑凝灰岩が主体で、福山層は火山角礫岩、溶岩、溶結凝灰岩、砂岩、礫岩等、吉岡層は泥岩、砂岩、訓縫層には緑色凝灰岩、頁岩、火山角礫岩、八雲層は硬質頁岩、凝灰岩、泥岩、砂岩、黒松内層はシルト岩、凝灰岩、砂岩、泥岩等で構成されているものが多い。このほか前述流紋岩山の突出している地域もある。
これらの地層地質の火山活動の副産物として地下鉱物が醸成され、熊石町内の多くの山岳に埋蔵されている鉱物資源も多い。乙部岳から雄鉾岳の山稜一帯には金・銀・銅・鉛・満俺の鉱床が見られ、近世中期以降、雄鉾岳東麓で採掘された遊楽部金山、鉛川鉛山はその証左であり、昭和中期に於ては相沼内川上流に於ても満俺の採掘が行われている。見市川右岸の福山層中に石炭層があり、一時採掘も行ったことがあるが、低品位のため中止となっている。また、遊楽部岳から、その南麓、さらに冷水岳にかけては、豊富な金・銀・銅・満俺が埋蔵され、戦時中、隆徳鉱山が大企業化を図ろうとしたことによっても分る。
このような地質の大きな地域的変化は、火山活動と併せ、多くの活断層を生んでいる。その最大のものは関内川上流域で、臼別温泉、貝取澗常磐温泉に接している。平田内川流域の活断層には平田内温泉、見市川流域には見市温泉とそれぞれ所産している。これら活断層や礫岩、凝灰岩等多くの異なる地質をもつ地域は、地すべり多発地帯であって、降雨等の場合、十分の留意を要する地域である。
また北海道立地下資源調査所刊行の『北海道の地熱・温泉』(1985年・1版)に、昭和57年度に掘鑿した平田内温泉第五号泉のボーリングによる地質、地熱の「地質柱状図」が掲載されているが、それによると平田内温泉は、先第三紀の花崗閃緑岩体と新第三紀の福山層との境界部に湧出する。福山層は主として玄武岩―安山岩および火砕岩より構成される。また、花崗閃緑岩との境界部にはN―S方向の断層が推定され、それに沿って流紋岩の岩脈が存在する。この岩脈は80度前後の西傾斜をしめすと推定される。地熱ボーリング柱状をA28図にしめす。A28図によると、深度86・2メートルまでは福山層、86・2―171メートルが流紋岩岩脈、171メートル以深が花崗閃緑岩より構成されている。
地質柱状図(地熱探査泉源)
Geological columns of drilling well(Hiratanai geothermal prospect well)
流紋岩中及び花崗岩の最上部付近に、優勢な亀裂の発達がみられたが、それ以外には顕著な亀裂は存在しない。深度120―180メートル間の亀裂は、平田内温泉で従来開発された温泉脈と一連のものと判断される。地下温度分布は、深度200メートルまで放物線を画いて上昇するが、それ以深の地温上昇は鈍く、深度1、034・8メートルで123・6℃と温度差は26・1℃に過ぎない。
と地下150メートルではすでに100℃の温泉が出、その熱水量は毎分243メートルに達している。
土壌及び土質
熊石町の土壌及び土質については、昭和44年6月北海道農業試験場を主体に調査刊行した『熊石町土壌調査報告書』があり、これを主体に述べる。
熊石町の土壌は火山性土、残積土、扇状堆土、泥炭土等に分れるが、そのうち
1、火山性土
通称黒ぼくと白ぼくとに分れる。白ぼくは地域によって分れるが、これは数度に亘って噴火した駒ヶ岳、松前大島、奥尻島の火山灰が主体であるが、黒ぼく層については火山灰であるが、その起因についてはよく分らなかったが、最近の東京都立大学町田洋教授の研究“松前=国道228号線改良拡幅工事に伴う緊急発掘調査報告書”では、この黒ぼく層の組成は、高純度の火山ガラスから成り、軽石型ガラスのほか、無色、淡色のパブル型ガラスが多量に混入されており、これは駒ヶ岳及び松前大島火山灰の組成であるサブアルカリ性岩質テフラと異なり、朝鮮白頭山及び樽前山の火山灰組成であると考えられ、火山灰堆積地は、この二つの火山灰によって構成されているが、特に黒ぼく層は10世紀から11世紀の堆積であるといわれる。これらの火山灰層は保肥力がなく、保水性に乏しく、さらに養肥分も乏しいが酸性は微弱で、町内全域の土壌はこの性分のものが多い。
平田内川の白土層
相沼内河岸の状況
2、残積土
丘稜地の岩石が移動することなく、その位置で風化生成された土壌で、特に熊石町では、火山から噴出した安山岩及び砂粘土などで固まった砂岩、頁岩に由来するが、その土壌の大部分は傾斜地に多く、多礫で、肥養分も流失するため、塩基類も乏しい未飽和土壌で生産力も少ない。
3、沖積土
相沼内川、見市川流域のような、河川流域の低地に、河川のはんらん堆積物である砂礫、粘土、海成堆積物の海砂を母材として構成されていて、養肥分に富んだ肥沃な土地が多く、生産力も高い。
4、扇状堆土
丘稜地、段丘地などの沢地から押し出された砂礫、粘土の堆積地で、多礫で土性も粗いが、養肥分に富んだ肥沃な土壌で、生産力が高い。なお一部には沢地の影響を受け湿性を帯びている処もある。
5、泥炭土
ヨシ、ハンノキなど植物遺体の集積した土壌で、河川の低湿地に分布しているが、当町ではミズゴケ、ヌマカヤ等を混入している低位泥炭土に属していて、相沼内川流域が主体で、一部冷水沢にも存在するが、塩基類の少ない強酸性土で生産力も低い。
面積及び土地利用の状況
熊石町の面積は220・27平方キロメートルであるが、その土地利用の状況をみると次表のとおりである。
(単位=ヘクタール)
土 地 区 分 | 国 公 有 地 | 町 有 地 | 民 有 地 | 総 数 |
田 | 68・8 | 68・8 | ||
畑 | 33・5 | 6・0 | 457・2 | 496・7 |
宅 地 | 6・8 | 2・9 | 445・7 | 55・4 |
山 林 | 15、591・3 | 1、227・1 | 1、809・1 | 18、627・5 |
原 野 | 1、973・2 | 221・7 | 583・7 | 2、778・6 |
そ の 他 | ||||
総 数 | 17、604・8 | 1、457・7 | 2、964・5 | 22、027・0 |
年間気象
熊石町は北海道内に於ては比較的温暖な地域であり、冬期間の最低は過去10年間では昭和51年、52年の零下12・0度、最高は昭和53年の33・5度である。年間平均気温8・9度、平均降水量は108・3ミリメートルである。また風力の平均は9・9メートルと強いが、これは冬季間の季節風によるところが大きいが、季節風の月別の動きを大別すると下図のとおりである。
季節風月別の動き 風向の方言名は字泊川・荒谷勝郎氏より聴取した
熊石町の海中殖生
(○印は重要性)
魚 類
有 用 種
(よく見られる魚) | (珍らしい魚) | ||||||
マ イ ワ シ | アブラ ツノ ザ メ | マ フ グ | ニ シ ン | ||||
○ | サ ケ | ア カ エ イ | ホ デ ウ オ | マ ア ナ ゴ | |||
○ | サ ク ラ マ ス | カタクチ イ ワ シ | カ ナ ガ シ ラ | マ ス ノ ス ケ | |||
○ | カ ラ フ ト マ ス | ア メ マ ス | コ ガ ネ ガ レ イ | ギ ン ザ ケ | |||
○ | マ ダ ラ | チ カ | バ バ ガ レ イ | ハ マ ト ビ ウ オ | |||
○ | ス ケ ト ウ タ ラ | ウ グ イ | カ ワ ガ レ イ | サ ヨ リ | |||
○ | ホ ッ ケ | エゾイソ アイナメ | ト ク ビ レ | コ マ イ | |||
サ ン マ | シ イ ラ | ト ビ ヌ メ リ | マ ト ウ ダ イ | ||||
マ サ バ | マ ア ジ | ツマグロ カ ジ 力 | ブ リ モ ド キ | ||||
○ | ヒ ラ メ | マ ダ イ | ケ ム シ カ ジ 力 | カ ワ ハ ギ | |||
○ | マ ガ レ イ | オ キ タ ナ ゴ | ベ ロ カ ジ カ | バ ラ メ ヌ ケ | |||
ヒレグロ カ レ イ | ヒラソウダ ガツオ | イ シ ダ イ | ト ラ フ グ | ||||
ス ナ ガ レ イ | ゴ マ サ バ | ハ ゼ 類 | ア カ カ マ ス | ||||
○ | ソウハチ ガ レ イ | ナ ガ ヅ カ | ギ ン ボ 類 | ハ タ ハ タ | |||
ア カ ガ レ イ | ウ ス メ バ ル | ク サ ウ オ 類 | マ ナ ガ ツ オ | ||||
○ | クロガシラ カレイ | ム ラ ソ イ | (この三種は種類 が多いので省略) |
シ ュ モ ク ザ メ | |||
イ シ ガ レ イ | ゴ マ ソ イ | カ ン ダ イ | |||||
ア ハ ザ ガ レ イ | ク ジ メ | クロウシ ノ シ タ | |||||
ム シ ガ レ イ | ウ マ ヅ ラ ハ ギ | ||||||
○ | ク ロ マ グ ロ | ヒ ガ ン フ グ | |||||
ブ リ |
有 足 種
ミ ズ ダ コ | |
ヤ ナ ギ ダ コ | |
○ | ス ル メ イ カ |
○ | ヤ リ イ カ |
コ ウ イ カ | |
ソ デ イ カ | |
ミ ズ イ カ | |
○ | ホッコク アカエビ |
○ | ト ヤ マ エ ビ |
モロトゲ アカエビ | |
イ バ ラ エ ビ |
貝 類
○ | エ ゾ バ カ 貝 | (よく見られる貝) | |
○ | サ ラ 貝 | ||
ホ ッ キ 貝 | ビ ノ ス 貝 | ||
ア サ リ | エ ゾ タ マ キ 貝 | ||
コ タ マ ガ イ | キ サ ゴ | ||
ホ タ テ ガ イ | イ ソ シ ジ ミ | ||
○ | ヒ メ エ ゾ ボ ラ | エ ゾ ワ ス レ 貝 | |
○ | エ ゾ ア ワ ビ | ツ メ タ 貝 | |
マ ガ キ |
海 藻 類
(有用種のみ) | |
○ | ホ ソ メ コ ン ブ |
○ | ナ ン ブ ワ カ メ |
○ | ウップル イ ノ リ |
○ | ス サ ビ ノ リ |
フ ジ マ ツ モ | |
フ ク ロ ウ ノ リ | |
イ シ モ ズ ク |
力 二 類
ベ ニ ズ ワ イ | |
オ オ ク リ ガ ニ | |
(毛ガニ) | |
ガ ザ ミ | |
ヒ ラ ツ メ ガ ニ |
そ の 他
○ | キタムラサキ ウニ |
○ | エゾバフン ウ ニ |
○ | マ ナ マ コ |
○ | マ ボ ヤ |
(桧山支庁桧山南部地区水産技術普及指導所調)
熊石町の特殊な植物
おおあまどころ
ふたりしづか
からはなそう
さわしば
熊石町の植物
熊石町の植物については、昭和38年熊石町雲石小学校に勤務した板谷等教諭が、2年に亘って調査をして発行した『熊石町の植物』があるので、これを次に掲げる。(但し、このなかでは「ほしくさ科」、「いぐさ科」、「がやつりぐさ」、「ほもの科」は除かれている。)
なお、この調査で植物分類学上貴重なものは、ハマベンケイソウ、エゾマンテマ、ウミミドリ、エゾノツルキンバイ、エゾサイコ等であり、その植生地は前項の図のとおりである。
き く 科
1、のげし属 @のげし Aおにのげし
2、にがな属 @ひめじしぼり Aはまにがな
3、おにたびらこ属 @おにたびらこ
4、たんぽぽ属 @せいようたんぽぽ Aえぞたんぽぽ Bきればのあかみたんぽぽ
5、こうぞりな属 @こうぞりな
6、あれちあざみ属 @えぞのきつねあざみ
7、きおん属 @はんごそう Aのぽろきく
8、こうもりそう属 @よぶすま草
9、ふき属 @ふき
10、よもぎ属 @いぬよもぎ Aしろよもぎ Bやまよもぎ
11、のこぎりそう属 @のこぎりそう
12、ひまわり属 @きくいも
13、めなもみ属 @めなもみ
14、おなもみ属 @おなもみ
15、のぶき属 @のぶき
16、やぶたばこ属 @やぶたばこ
17、やまははこ属 @やわらははこ
18、むかしよもぎ属 @ひめむかしよもぎ Aひめじよん
19、しおん属 @のこんぎく Aえぞごまな
20、あきのきりんそう属 @おおあきのきりんそう
21、ひよどりばな属 @よつばひよどり Aさわひよどり
22、あざみ属 @おおもりあざみ
23、あきのしげし属 @あきのしげし Aやまにがな
24、ときんそう属 @ときんそう
ききょう科
1、たにぎきよう属 @たにぎきよう
2、つりがねにんじん属 @つりがねにんじん
おみなえし科
1、おみなえし属 @おとこえし Aまるばのきんれいか
うり科
1、からすうり属 @きからすうり
すいかずら科
1、はこねうつぎ属 @はこねうつぎ Aたにうつぎ
2、すいかずら属 @へうたんぼく
3、がまずみ属 @がまずみ Aむしかり
4、にわとこ属 @にはとこ
あかね科
1、やえむぐら属 @よつばむぐら Aおおばのよつばむぐら Bくるまむぐら Cきばなのかわらまつば
2、くるまばそう属 @くるもばそう
3、つるありどうし属 @つるありどうし
おおばこ科
1、おおばこ属 @おおばこ Aへらおおばこ Bえぞおおぼこ
はえどくそう科
1、はえどくそう属 @はえどくそう
はまうつぼ科
1、はまうつぼ属 @はまうつぼ
こまのは科
1、しおがまぎく属 @しおがまぎく
2、さぎごけ属 @ときははぜ
3、みぞほうずき属 @みぞほうずき Aおおみぞほうずき
4、ごまのはぐさ属 @えぞひなのうすつぼ
5、うんらん属 @うんらん
6、くわがたそう属 @おおいねほのふぐり Aやまるりとらのを
しそ科
1、やまはっか属 @くろばなのひきおこし
2、ながなたこうじゆ属 @ながなぎなたこうじゆ
3、はっか属 @えぞはっか
4、とうばな属 @とうばな
5、かきどうし属 @かきどうし
6、しろね属 @えぞしろね
7、いぬごま属 @いぬごま
8、かわみどり属 @かわみどり
9、じゃこうそう属 @じゃこうそう
10、おどりこそう属 @おどりこそう
11、うつぼぐさ属 @うつぼくさ
12、たつなみそう属 @なみきそう
13、みそがわそう属 @えぞのみそがわそう
むらさき科
1、すなびきそう属 @すなびきそう
2、はまべんけいそう属 @はまべんけいそう
3、きうりぐさ属 @たちかめばそう
ひるがお科
1、ひるがお属 @はまひるがお Aひるがお Bひろはひるがお
ががいも科
1、かもめつる属 @いけま
2、ががいも属 @ががいも
さくらそう科
1、うみみどり属 @うみみどり
2、おかとらのを属 @おかとらのを Aくされだま Bはまぼっす Cこなすび
りんどう科
1、つるりんどう属 @つるりんどう
つつじ科
1、ほつつじ属 @ほつつじ Aみやまほつつじ
2、つつじ属 @やまつつじ Aしゃくなげ
みづき科
1、みづき属 @みづき
せり科
1、はまぼうふう属 @はまぼうふう
2、ししうど属 @あまにゅう Aえぞにゅう
3、せり属 @せり
4、みつば属 @みつば
5、みしまさいこ属 @えぞさいこ
6、さぶじらみ属 @やぶじらみ
7、しやく属 @こじゃく
8、うまのみつば属 @うまのみつば
9、ちどめぐさ属 @おおちどめ
うごき科
1、たらのき属 @うど Aたらの木
2、はりぎり属 @はりぎり
あかばな科
1、まつよいぐさ属 @おおまつよいぐさ
2、みづたまそう属 @みずたまそう
3、あかばな属 @あかばな
みそばき科
1、みそばき属 @みぞみそはぎ
くみ科
1、くみ属 @ぐみ
おとぎりそう科
1、おとぎりそう属 @おとぎりそう
またたび科
1、またたび属 @さるなし Aまたたび
しなのき科
かえで科
1、かえで属 @やまもみじ Aいたやかえで
にしきぎ科
1、つるうめもどき属 @おにつるうめもどき
2、にしきぎ属 @こまゆみ Aつりばな
つげ科
1、ふつきそう属 @ふつきそう
うるし科
1、うるし属 @うるし Aつたうるし
たかとうだい科
1、ゆづりは属 @えぞゆづりは
2、えのきぐさ属 @えのきぐさ
かたばみそう科
1、かたばみそう属 @かたばみ Aえぞのたちかたばみ
ふうろそう科
1、ふうろそう属 @げんのしょうこ Aみつばふうろう
まめ科
1、やぶまめ属 @やぶまめ
2、ぬすびとはぎ属 @ぬすびとはぎ
3、はぎ属 @えぞやまはぎ
4、くず属 @くず
5、はりえんじゅ属 @はりえんじゅ
6、しやじくそう属 @しろつめくさ
7、そらまめ属 @くさふじ Aひろはくさふじ Bなんてんばぎ
8、みさこぐさ属 @みやこぐさ
9、れんりそう属 @はまえんどう
ばら科
1、さくら属 @えぞやまざくら
2、のいばら属 @のいばら Aはまなす
3、きんみずひき属 @きんみずひき
4、しもつけそう属 @おにしもつけそう
5、だいこんそう属 @だいこんそう Aおおだいこんそう
6、へびいちご属 @へびいちご
7、きじむしろ属 @きじむしろ Aえぞつるきんばい
8、きいちご属 @くまいちご Aえぞがらいちご Bなわしろいちご
9、ななかまど属 @ななかまど
10、やまぶきしょうま属 @やまぶきしょうま
ゆきのした科
1、いわがらみ属 @いわがらみ
2、あじさい属 @えぞあじさい Aつるでまり Bのりうつぎ
3、うつぎ属 @うつぎ
4、ねこのめそう属 @ねこのめそう Aえぞねこのめ Bちしまねこのめ
5、ゆきのした属 @だいもんじそう Aふきゆきのした Bやまはなそう
べんけいそう科
1、いわれんげ属 @こもちれんげ Aいわれんげ
2、きりんそう属 @きりんそう
じゆうじばな科
1、はたざを属 @はまはたざを
2、なずな属 @なずな
3、たねつけばな属 @たねつけばな
4、こんろんそう属 @こんろんそう
5、わさび属 @わさび
6、やまがしら属 @やまがしら
けし科
1、やぶけまん属 @えぞえんごさく Aえぞきけまん
2、くさのおう属 @くさのおう
もくれん科
1、ほうのき属 @ほうのき Aきたこぶし
へびのぼらず科
1、さんかよう属 @さんかよう
2、るいようぼたん属 @るいようぼたん
3、めぎ属 @ひろはへびのぼらず
きつねのぼたん科
1、せんにんそう属 @せんにんそう
2、ふくじゅそう属 @ふくじゅそう
3、きんぽうげ属 @きつねのぼたん Aはいきんぽうげ Bたがらし
4、いちりんそう属 @にりんそう Aきくざきいちりんそう
5、からまつそう属 @あきからまつ
6、とりかぶと属 @えぞとりかぶと
7、しらねあおい属 @しらねあおい
なでしこ科
1、なでしこ属 @かわらなでしこ Aえぞかわらなでしこ
2、はこべ属 @はこべ Aうしはこべ
3、みみなぐさ属 @みみなぐさ Aおおばなのみみなぐさ
すびりびゆ科
1、すべりびゆ属 @すべりびゆ
やまごぼう科
1、やまごぼう属 @やまごぼう
ひゆ科
1、えのごづち属 @えのごづち
2、ひゆ属 @いねびゆ
あかざ科
1、あかざ属 @あかざ
2、はまあかざ属
3、おかひじき属 @おかひじき
たで科
1、ぎしぎし属 @すいば Aひめすいば Bえぞのぎしぎし Cぎしぎし Dのだいおう
2、たで属 @いねたで Aおおいねたで Bやなぎたで Cやぶたで Dままこのしりぬぐい Eいしみかわ Fあきのうなぎづかみ Gたにたで Hみぞそば Iおおみぞそば Jみずひき Kおおいたどり Lにはやなぎ
うまのすずくさ科
1、かんあおい属 @おくえぞさいしん
いらくさ科
1、むかごいらくさ属 @むかごいらくさ
2、みづ属 @おおみず
3、いらくさ属 @えぞいらくさ
4、からむし属 @あかそ
くわ科
1、くわ属 @やまぐわ
2、からはなそう属 @からはなそう Aかなむぐら
ぶな科
1、ぶな属 @ぶな
2、こなら属 @みずなら
3、くり属 @くり
はんのき科
1、くましで属 @さわしば
くるみ科
1、くるみ属 @おにくるみ
せんりょう科
1、せんりょう属 @ひとりしずか Aふたりしずか
どくだみ科
1、どくだみ属 @どくだみ
らん科
1、えびね属 @えびね
2、きんらん属 @さきばなきんらん
あやめ科
1、あやめ属 @しはなしょうぶ
やまのいも科
1、やまのいも属 @ながいも
ゆり科
1、しおで属 @さるとりいばら Aしおで
2、えんれいそう属 @えんれいそう Aおおばなのえんれいそう
3、ちごゆり属 @ちごゆり Aほうちゃくそう
4、あまどころ属 @あまどころ
5、まいずるそう属 @まいずるそう
6、くさすぎかずら属 @きじかくし
7、かたくり属 @かたくり
8、うばゆり属 @おおうばゆり
9、ゆり属 @くまゆり Aえぞすかしゆり
10、きばなのあまな属 @きばなのあまな
11、のびる属 @のびる Aえぞのあさずき Bぎようじゃにんにく
12、わすれぐさ属 @わすれぐさ Aえぞせんていか
13、ぎほうし属 @みずぎほうし
14、しゆろそう属 @しむろそう
15、つくばねそう属 @つくばねそう
つゆくさ科
1、つゆくさ属 @つゆくさ Aしろばなのつゆくさ
さとういも科
1、はんげ属 @からすびしゃく
2、さとういも属 @えぞてんなんしょう