第9章 大正時代の熊石村

 第1節 大正時代の行政

 熊石村の大正時代は、過去の鰊漁業の万石場所から万年凶漁の場所と変化し、村民はその代替漁業の開発あるいは、生活費を求めて出稼する等村の産業、経済は大きく後退しつつあった時代である。村の行政にしても主産業の鰊漁業の皆無状況から、村財政の財源に大打撃を与え、また、人口の漸減、農業凶作の連続と万年不況、さらには経済変動の激化等あらゆる分野にわたって、村財政を圧迫し、従って村の予算規模も年々縮小されている。明治40年頃村の当初経常予算は1万6000円程度であったものが、大正元年では1万3855円、2年では1万2633円、3年では、1万2225円、4年では1万667円、5年では1万2712円と年々縮小している。大正8年の当初経常予算は2万2936円と急激な膨張を見せているが、これは決して予算規模の拡大を意味するものではなく、欧州戦乱による経済変動の結果であって、予算的にはかえって減額的要素を多分に含んでいる。
 このような村の財政難で、1番負担となったのは教育費である。大正5年の例をとると、経常予算1万2712円に対し、教育費は5785円、臨時部教育費650円(見市分教場改築費)、学校建築による元利償還金788円、教育費の支出計は7223円で、村当初予算の56%もの予算が教育費に投下されていて、現下(昭和60年度)の町教育費投下率24%に比べてもいかに教育費の予算に占める割合が大きく、財政を苦しめていたかを知ることができる。
 この結果、教育費の削減が村政の重要課題であり、泉慶一郎村長は大正3年5月5日の村会に議案第10号として、関内、泊川の両小学校の分教場降格を次のように提案している。
 関内、泊川両尋常小学校組織変更ノ件
 本村関内、泊川両尋常小学校組織ヲ左ノ通リ変更セントス
 一関内尋常小学校
 本校ハ現在尋常科第一学年ヨリ同第六学年マテノ児童ヲ全部収容シ以テ三学級ノ編制ナリシモ之ヲ第四学年ヨリ第六学年迄ノ児童ヲ雲石尋常高等小学校ニ収容シテ単級組織トシ同時ニ本校ヲ雲石尋常高等小学校関内分教場ト組織変更セントス
 二泊川尋常小学校
 本校ハ現在尋常科第一学年ヨリ第四学年マテノ児童ヲ収容シ以テ二学級ノ編制ナリシモ児童数ノ関係上単級組織トシ同時ニ本校ヲ相沼尋常小学校泊川分教場ト組織変更セントス
 理由
 本村ハ従来雲石、関内、泊川、相沼各小学校共独立校トシテ国民義務教育ノ発展ヲ期シツツアリシモ不幸本年ノ鰊漁ハ十数年来稀有ノ凶漁ニ終リヲ告ケ村民ノ生活ハ極度ノ惨状ヲ呈シツツアル現状ニ鑑ミ前記ノ如ク両校ノ組織ヲ変更シ以テ経費節減ノ途ヲ講シ村民負担ノ低減ヲ計ラントス
 前記ノ如ク組織変更スルモ児童通学上何等支障ナキモノト認ム
 大正三年五月五日提出 熊石村長 泉 慶一郎
というものであった。これに対し村会に於ても教育上重要な事項であるので、激しい議論が交されたが、最終的にはこの原案に賛成可決し、同年11月1日から両分教場となった。このような財政的な厳しさのなかで、村会側からも予算削減の建議案が出されている。

 その一
 建議案
 大正三年度熊石村経費既定予算削減之件
 内訳
 役場費
          円
 附属員俸給  一五〇・〇〇〇
 旅費      四〇・〇〇〇
 慰労費    二四〇・〇〇〇
 住宅料     三〇・〇〇〇
 各欸項目より 一一九・六〇〇
 計      五七九・六〇〇
 教育費
 俸給     三三八・九〇〇
 旅費      七五・〇〇〇
 慰労費    二六〇・〇〇〇
 住宅料     二〇・〇〇〇
 各欸項目より 三二九・四五〇
 計    一、〇二三・三五〇
 村有建物修繕費 二〇・〇〇〇
 村医俸給   六五〇・〇〇〇
 警備費     一九・六五〇
 予備費    一五〇・〇〇〇
 計      八三九・六五〇
 合計   二、四四二・六〇〇
 理由
 本村唯一ノ資源タル鰊漁今ヤ皆無ニテ終ヲ告ケ為メニ村民一般ノ窮境言語ニ尽シ難ク殆ンド日々ノロ糊ニモ頻スル惨状ノ状態ナルヲ以テ村経済ニ於テ極端ナル縮小ヲ実行シ既定予算額ヨリ前記ノ通リ削減シ之ガ総額ヲ歳入中主税タル戸別割ニ於テ減少セントス
右建議ス
 大正三年五月五日
 提出者
 熊石村会議員
 岸田 久四郎 ■(丸印)
 賛成者
 熊石村会議員
 佐野 半之丞 ■(丸印)  大塚 要吉 ■(丸印)
 田村 一治 ■(丸印)  岩見 安太郎 ■(角印)
 山田 和吉 ■(丸印)  八町 忠吉 ■(丸印)
 山田 万吉 ■(角印)  沢野 春吉 ■(丸印)
 熊石村会議長
 泉 慶一郎 殿
 その二
 建議案
 大正三年度熊石村経費既定予算額削減ノ件
 内訳
 補助費
 産業奨励会補助 四〇・〇〇〇
 産牛馬組合補助 一五・〇〇〇
 地方改良会補助 四〇・八○○
 教育会補助   四六・〇〇〇
 計      一四一・八〇〇
 理由
 本村唯一ノ資源タル鰊漁今ヤ皆無ニテ終ヲ告ケタメニ村民一般ノ窮境言語ニ尽シ難ク殆ント日々ノ口糊ニモ頻スル悲惨ノ状態ナルヲ以テ村経済ニ於テ極端ナル縮小ヲ実行シ既定予算額ヨリ前記ノ通り削減シ之ガ総額ヲ歳入中主税タル戸数割ニ於テ減少セントス
右建議ス
 大正三年五月五日
 提出者熊石村会議員
 岸田 久四郎 ■(丸印)
 賛成者熊石村会議員
 沢野 春吉 ■(丸印)  山田 和吉 ■(丸印)
 岩見 安太郎 ■(角印) 田村 一治 ■(丸印)
 八町 忠吉 ■(丸印)  佐野 半之丞 ■(丸印)
 大塚 要吉 ■(丸印)  中川 亀蔵 ■(角印)
 山田 万吉 ■(角印)
 熊石村会議長
 泉 慶一郎 殿
というものであった。この建議案は可決され、この年の当初予算1万2235円から2584円40銭を削減し、9650円60銭という過去最低という小規模予算となった。また、当初予算を議員建議によって21%も削減するという前代未聞の議決がされたのも、それまでは万石場所として栄華を極めて来た村としては致し方のないことであった。大正年代といえば凶漁と凶作に明け暮れ、さらには物価高、金融恐慌の時代で、村民は鰊場あるいはカムサッカ漁業に出稼をして湖口をしのぐという時代で、この年代の熊石村首長を始め村会議員、村職員の行政推進は容易なものではなかった。
 大正年代に於ける歴代首長、役場職員、村会議員、学務委員、各部長は次のとおりである。
 大正年代に於ける熊石村首長
 四代村長 泉 慶一郎
 明治四十一年十二月一日より、大正五年十一月三十日まで  八年間
 五代村長 林 理一郎
 大正五年十二月一日より、大正十年五月十六日まで 四年五ケ月間
 六代村長 中野 隆輝 ←(暉 写真氏名文字と違い有り)
 大正十年五月十七日より、大正十三年四月十三日まで 三年間


六代 中野 隆暉
 七代村長 中島 有郷
 大正十三年四月十四日より、大正十四年九月三十日まで 一年五ケ月間

 七代 中島 有郷
 八代村長 間 啄次郎
 大正十四年十月一日より、昭和三年五月十三日まで 二年七ケ月間

 八代 関 啄次郎

年度 村長 収入役 上席書記
書記・書記補
大元・12 泉 慶一郎 岸田 喜志太郎 佐藤 久治
加藤 秀三郎、佐野 勇松、佐野 昌平、補・児島 高次郎
大2・12 泉 慶一郎 加藤 秀三郎 佐藤 久治
佐野 勇松、佐野 昌平、補・児島 高次郎、堀内 末太郎、熊谷 甚蔵
大3・12 泉 慶一郎 加藤 秀三郎 佐藤 久治
佐野 勇松、佐野 昌平、児島 高次郎、補・熊谷 甚蔵
大4・12 泉 慶一郎 加藤 秀三郎 佐藤 久治
佐野 勇松、児島 高次郎、佐野 昌平、補・熊谷 甚蔵
大5・12 林 理一郎 加藤 秀三郎 佐野 勇松
児島 高次郎、佐野 昌平、熊谷 甚蔵、木村 松蔵、補・一方井 末吉
大6・12 林 理一郎 加藤 秀三郎 佐野 勇松
児島 高次郎、熊谷 甚蔵、補・赤泊 桂二郎、佐藤 喜三郎
大7・12 林 理一郎 加藤 秀三郎 佐野 勇松
熊谷 甚蔵、寺田 悦太郎、佐藤 喜三郎、補・赤泊 悦太郎、佐野 喜三郎
大8・12 林 理一郎 加藤 秀三郎 真田 甚八
熊谷甚蔵、寺田悦太郎、補・赤泊桂二郎、小西栄作、佐野兵栄
大9・12 林 理一郎 加藤 秀三郎 梶本 尾三資
熊谷 甚蔵、高野 政一、栄田 端二郎、補・赤泊 桂二郎、小西 栄作、佐野 兵栄
大10・12 中野 隆暉 加藤 秀三郎 須藤 光俊
熊谷 甚蔵、鈴木 清一、小西 栄作、補・瀬川 作蔵、佐野 兵栄、臨・田村 順治、田村 惣五郎
大11・12 中野 隆暉 加藤 秀三郎 熊谷 甚蔵
富田 高十郎、鈴木 清一、瀬川 作蔵、小西 栄作、補・佐野 兵栄、田村 順治、田村 惣五郎
大12・12 中野 隆暉 田村 秀三郎 熊谷 甚蔵
富田 高十郎、岩谷 重作、小西 栄作、補・木村 籐作、佐野 兵栄、田村 惣五郎
大13・12 中島 有卿 田村 秀三郎 熊谷 甚蔵
富田 高十郎、岩谷 重作、佐野 兵栄、補・佐野 兵治、田村 順治、輪島 秀蔵、岸田 専治(6・30退)
大14・12 関 琢次郎 佐野 真一郎 中条 長吉
佐藤 信、安田 多吉、佐野 兵栄、補・佐野 兵治、田村 順治、木村 良雄
大15・12 関 琢次郎 佐野 真一郎 中条 長吉
佐藤 信、安田 多吉、佐野 兵栄、補・佐野 兵治、田村 順治、木村 良雄、森 源二郎

 村会議員一覧
○大正元年六月一日選挙当選者(十二名)
 中川 亀蔵、岸田 久四郎、佐野 半之丞、大塚 要吉、八町 忠告、山田 万吉
 岩見 安太郎、山田 和吉、加藤 藤太郎、田村 一治、沼浪 藤吉、沢野 春吉
○大正三年六月一日選挙当選者(十二名)
 岸田 久四郎、佐野 半之丞、大塚 要吉、八町 忠吉、岩見 安太郎、佐野 四右衛門
 信田 奥太郎、辰野 徳太郎、加藤 藤太郎、田村 一治、長沼 寅吉、田中 岩吉
 (田子谷玉蔵抽選大正3・10・20)
○大正五年六月一日選挙当選者(十二名)
 佐野 半右衛門、辰野 徳太郎、田中 岩吉、加藤 藤太郎、田村 市太郎、岸田 久四郎
 信田 奥太郎、長沼 寅吉、八町 忠吉、田村 一治、大塚 要吉、田子谷 玉蔵
○大正七年六月一日選挙当選者(十二名)
 辰野 徳太郎、田村 一治、大塚 要吉、佐野 栄吉、佐野 四右衛門、田子谷 玉蔵
 田村 市太郎、佐野 定治、余湖 松太郎、加藤 藤太郎、長沼 寅吉、田中 岩吉
○大正九年六月一日選挙当選者(十二名)
 大塚 要吉、佐野 栄吉、佐野 定吉、余湖 松太郎、山田 友右衛門、福岡 駒次郎
 手塚 秀蔵、佐野 四右衛門、山田 万吉、田中 岩吉、田村 市太郎、田村 一治
○大正十一年六月一日選挙当選者(十二名)
 山田 友右衛門、田中 岩吉、長沼 寅吉、福岡 駒次郎、土谷 掟太郎、大野 喜作
 田村 一治、田村 市太郎、佐野 栄吉、八町 忠吉、斉藤 幸作、加藤 幸作
○大正十三年六月一日選挙当選者(十二名)
 斎藤 幸作、土谷 掟太郎、福岡 駒次郎、田村 市太郎、山田 万吉、大野 喜作、本日 吉太郎、折戸 末蔵、杉山 恭三、平山 平吉                (他2名は不明)
 大正初期学務委員一覧表
 大正元年八月二十四日任命
 岸田 久四郎、竹沢 勇太郎、土谷 駒吉、田村 市太郎、佐藤 三六、荒野 宗三郎
 大正三年六月十六日任命
 岸田 久四郎、山田 和吉、中川 亀蔵、加藤 藤太郎
 大正三年十月任命
 長沼 寅吉、宮野 徳太郎、加藤 藤太郎
 大正五年六月任命
 竹沢 勇太郎、田村 市太郎、佐藤 三六、山田 万吉、佐藤 徳兵衛
 大正年代初期の部長名
 部名  部長名    任命年月日
 第一部 鐙谷 銀之助 明治四十三年五月一日任命、大正元年十三月十九日死亡
     大坂 秀三郎 大正二年三月十三日任命
 第二部 工藤 常男 明治四十年十月十五日任命
 第三部 沢野 春吉  明治四十四年十二月三十一日任命
 第四部 大塚 要吉  明治三十六年四月十四日任命
 第五部 佐藤 富蔵  明治四十一年十月三十一日任命
 第六部 佐賀 権兵衛 明治四十四年一月三十一日任命
 第七部 田村 万蔵  明治四十二年三月六日任命
 第八部 猪股 竜太郎 明治四十五年四月三十日任命
 第九部 三国 定太郎 明治四十二年九月七日任命、大正三年四月十九日死亡
     佐藤 福太郎 大正三年四月二十七日任命
 第十部 輪島 留五郎 明治四十一年二月二十一日任命
 第十一部 川村 留吉  明治三十八年十二月一日任命、大正二年十一月二十一日退職
      西田 三次郎 大正二年十一月二十一日任命
 第十二部 林 房太郎  明治三十九年十二月四日任命
 第十三部 竹沢 勇太郎 明治三十九年六月五日任命
 第十四部 土谷 駒吉  明治三十九年六月五日任命、大正三年十二月二十八日退職
      猪谷 甚三郎 大正四年一月四日任命、大正六年七月十一日死亡
      百田 熊一  大正六年八月九日任命
 第十五部 天満 源蔵  明治四十年九月三十日任命
 第十六部 林 又作 明治四十四年十二月三十一日任命、大正四年六月十四日退職
      山田 和吉 大正四年六月十四日任命
 第十七部 田中 岩吉 明治四十四年十一月十六日任命、大正三年八日三十一日退職
      南部谷 権吉 大正三年八月三十一日任命
 第十八部 斉藤 松蔵 明治四十四年九月三十日任命

 大正年代の村の動きと議決案件の主なるもの
 大正二年
 ○消防組第一部は部長一名、小頭四名、消防手六十名とし、小頭一名、消防手十五名を増員しようとした。これは関内地区に第一部の分部を作ろうとしたが、村内全体的体制造りの必要から否決となった。
 なお、出場弁当料は従来の四銭を五銭にし、なお火災出場の場合は二食給与とした。
 ○熊石村民より御真影奉安所寄贈の申し込みがあったが、設置場所等の関係で建設は翌三年に持ち越した。
 ○鮎溜字オクノブイシ一番から七番の温泉湧出地は国有未開地で、個人貸し付は認められないので村が借り、大塚要吉に転借をする土地継続使用出願を村長名で行っている。
 大正三年
 ○関内、泊川両尋常小学校組織変更ノ件
 (前述の通り)
 ○歳入歳出更正予算
 (前述の通り)
 ○大正三年十二月二十三日、熊石村土谷掟太郎外四百六拾九名、総代荒井幸作、岸田久四郎の両名からフランス式消防用ハンドポンプ一式を村に寄附する(代価五百弐拾四円三拾銭)ことになり、この寄附を採納した。(腕用ポンプという手動ポンプ)
 大正四年
 ○高等科生徒より徴収していた授業料一人一ヶ月二十銭を三十銭と改訂した。
 ○消防組の出動弁当代を一食十銭以内とした。
 ○消防組の組織を幌目以西をもって三部編制としようとしたが、二部編制の中で配慮することとなった。
 ○熊石村の平田内川、関内川を利用して水力電気供給を計画している者があり、その水利権を認めてよいか村会に諮問あり。
 大正五年
 ○戊申詔書喚発記念学校用品設備造成会々長から
 一、雲石尋常高等小学校々旗一揃 代金二十三円八十二銭
 一、相沼尋常小学校々旗一揃 代金十九円六十三銭
 一、明治功臣録一冊 代金二円六十銭
 一、喇叭 二個 代金六円四十銭
 計 金五十二円四十七銭
を学校備品として寄附。
 ○十一月二十日前村長泉慶一郎八年にわたって村長として活躍し転任することになり、議員十一名からその功労を謝すため臨時村会開会の要求あり、尉労金五百円を支出することにした。
 大正六年
 ○特記事項なし
 大正七年
 八月二十六日緊急村会諮問第一号
 御内帑(ど)金御下賜ニ村キ廉価販売ノ件
 近時米価著シク暴騰ヲ来タシ一般細民困窮ノ状態ニ在ルハ誠ニ憂慮スベキ次第ニ有之候処畏クモ思召ヲ以テ今回御内帑金三百万円御下賜セラレ本村ヘモ金参百拾五円参拾銭五厘配付有之 聖恩優渥(ゆうあく)感激ノ至リニ堪ヘザルナリ本村ニテハ篤志者ノ義金ヲ募ルモ今日ノ場合目的ノ達成困難ナルヲ以テ差当り 御下賜金ヲ以テ補填シ得ル範囲内ニテ廉価販売ヲ開始致度候処之ヲ開始スルトセバ村直営ト米商ニ指定販売セシムルト其ノ何レヲ可トスルヤ 右諮問ス
 というものであったが、村も普通基本財産預金1800円を取り崩し、これで安価の米を購入、生活困窮者には外米1枡20銭以内、内地米40銭以内の実費販売することが決定された。
 ○十一月一日の臨時村会で小学校職員に生活臨時手当として月金五円以内を支給することにした。
 大正八年
 ○二月物価高による役場職員の臨時手当は月額の三割とした。
 ○消防出場手当を組頭五十銭、部長四十五銭、小頭四十銭、消防手三十五銭とした。
 ○三月村会に村内薪炭備林として国有未開地七百四十八町八反一畝を買収し、さらにその管理規則を定める。また、共同牧野二百三十六町三反二畝の共同放牧地管理並に使用規則を定める。
 ○十月の村会で見市川水利使用についての諮問があった。
 諮問第一
 水利使用ノ件
 爾志郡能石村大字熊石村泊川村字見市
 見市川
 江差水力電気株式会社ヨリ発電目的ニテ右水利使用願出有之候ニ付キ地元タル本村ニ於ケル公益上支障ノ有無ヲ問フ
 大正八年十月三日
 熊石村長 林 理一郎
で、この諮問に対し村会は、使用して差支えない旨を答申している。
 大正九年
 ○二月定例村会ではじめて「村道ノ路線認定」十四線が認定された。(現在の国道は準地方費道と村道と重複指定)
 ○大正十年度より相沼尋常小学校に高等科二年を併設することにし、大正十年までに校舎を増築することになった。雲石小学校の増築はさらに一年延仲する。
 ○七月高等科児童の授業料一人一ケ月三十銭を六十銭とし、二人以上通学の場は一人は半額とする。
 ○種々問題のあった見市温泉の帰属問題について一月二十五日の村会に、次の建議がなされた。
 建議
 一、本村ニ於テ受貸付中ノ見市温泉ヲ村ニ於テ経営セントス
 理由
 目下施行中ノ本村八雲間道路ヲ近ク本春開通セラルベキニ付浴客モ増加スベキヲ以テ従来ノ如ク営業人ノ経営ニテハ浴室浴舎等ニ浴客ノ満足スヘキ設備困難ト思料セラレルヲ以テ村ニ於テ設備シ担当営業人ニ貸付セントスルニ在リ
 右建議ス
 大正拾年弐月廿五日
 建議者熊石村会議員 佐野 栄吉■(角印)
  〃    〃   田村 市太郎■(丸印)
 賛成者   〃   田村 一治■(丸印)
  〃    〃   福岡 駒次郎■(丸印)
  〃    〃   佐野 定治■(丸印)
  〃    〃   余湖 松太郎■(丸印)
 賛成者熊石村会議員 山田 友右衛門■(丸印)
  〃    〃   手塚 秀蔵■(丸印)
  〃    〃   田中 岩吉■(丸印)
  〃    〃   佐野 四右衛門■(角印)
 熊石村会議長 林 理一郎 殿
 この建議は採択されたのに続いて2月26日には村会議員9名から、前の建議についての家屋建設を大正10年度中予算に計上するよう建議している。その原案としては木造二階建家屋総坪数50坪一棟の建築費と湯壷の築造費を合せ2350円としている。これを承けて村は3月定例会で、「温泉場規程」を設け、さらに特別会計を設定して温泉場管理をしようとしたが、借受人大塚要吉が明渡ししないため、6月2日議会には議案第1号として、訴訟することを提議している。
 議案第一号
 見市温泉ノ貸付期限終了ニ付受貸付者大塚要吉ニ対シ明渡請求セシモ異議申立期間ヲ経過セルモ明渡ササルヲ以テ訴訟ヲ提起セントス
 大正十年六月二日提出
 熊石村長 中野 隆暉
9日原案のとおり議決されている。
 この行政訴訟は、温泉湧出地が国有未開地のなかにあって、この土地貸借は札幌税務監督局が、個人には貸し付けず、村は大塚要吉氏に又貸しをする形式を取ってきたが、村会議員中に又貸しをするより、温泉利権を競争入札により貸し付けした方がよいと策動するものがあり、村長を抱き込んで動きを示したことから、温泉経営者大塚要吉氏が弁護人安東俊明をもって民事訴訟に踏みきり、それに対し村側も前記の議決により、大正10年弁護人山本喜男をもって裁判になったものであった。この裁判は実に4年にわたって係争されたが結審せず、大正14年裁判所の和解調停をもって、円満に解決を見ることが出来たが、両者に取り交された覚書は次のとおりである。
 覚書
 爾志郡熊石村(以下甲ト称ス)ト爾志郡熊石村大字熊石村大塚要吉(以下乙ト称ス)トノ間ニ繋争中ノ熊石村大字熊石村見市温泉使用権に関シ和解ノタメ当事者ニ於テ左記条件ノ履行ヲ約ス。
 記
一、温泉仝付帯ノ宅地使用権ハ甲ニ於テ許可ヲ受ケ乙ニ転貸スルモノトス。
 但シ、右使用権ノ転貸ハ甲ニ於テ使用権ヲ獲得スル期間継続スルモノトス。
二、温泉営業ハ乙ノ名義ヲ以テ独立営業スルモノトス。
三、温泉営業ニ伴フ家屋並浴槽等ノ構造ハ乙ノ自由トシ之カ変更手続履行ノタメ乙ノ要求アルトキハ甲ハ承認ヲ与フルモノトス。
四、本件ニ関シ乙ヨリ提出ニ係ル控訴ハ相手ヨリ直チニ取下ノ手続ヲ為スモノトス。
五、乙ヨリ札幌税務監督局ニ提出ノ本件使用願ハ直チニ取下ノ手続ヲ為スモノトス。
 六、本件訴訟費用ハ甲乙各自ノ負担トス。
 七、本件ニ関シ乙ハ甲ニ対シ謝意ヲ表スルモノトス。
 右行為ヲ確保スルタメ本書二通ヲ作製シ甲乙各一通ヲ保有ス。
 大正十四年九月二十一日
 爾志郡熊石村
 右代表者 能石村長 中烏 有郷■(職印)
 爾志郡熊石村大字熊石村
 大塚 要吉■(丸印)
 (この覚書は大塚正輝氏所蔵のものによる)
 ○この間、五月十六日前村長林理一郎が退任、新村長中野隆暉と事務引継ぎが行われたが、その間に於ける熊石村の問題点は、次のようなものである。
 今般当村長退職致候ニ付別紙目録ニ対シ事務及引継候也
 大正十年五月十六日
 元熊石村長 林 理一郎■(丸印)
 熊石村長 中野 隆暉 殿
 当村長退職ニ付別紙目録ノ通リ事務引継相成正ニ受領候也
 大正十年五月十六日
 熊石村村長 中野 隆暉
 元熊石村長 林 理一郎 殿

五代 林 理一郎

 諸帳簿四録
 一、別冊簿冊台帳ノ通リ
 保管証書目録
 一、熊石村収入役身元保証金代用抵当権設定書 壱通
 一、特別会計一般基本財産郵便貯金通帳(らな○○二六九) 壱冊
 一、仝上証券保管通帳(ら一〇五四六)自一号 自三号 参冊
 一、仝学校基本財産郵便貯金通帳(らな○一七四四) 壱冊
 一、仝上証券保管通帳(ら一〇五四四)自一号 自三号 参冊
 一、特別会計備荒基本金郵便貯金通帳(らな一三九五) 壱冊
 一、仝上証券保管通帳(ら一〇五四五)自一号 自二号 弐冊
 財産営造目録
 一、別冊基本財産台帳ノ通リ
 器具物品目録
 一、別冊備品台帳及消耗品受払簿ノ通リ
 引継演説書
一、村是調査会ノ件
 大正十一年度ヨリ村是調査ニ着手ノ予定ニテ、之ガ調査機関トシテ本年度ニ於テ村是調査会設置ノ見込ナリシヲ以テ相当御措置ヲ望ム
二、漁港修築ノ件
 本村ノ漁港修築ニ就イテハ明治二十二年本庁御雇工師シー・イス・メーク氏設計セラレタルモ施行ニ至ラス、迎テ明治四十年四月道庁技師松野敬次郎氏及技術員佐野勇次郎仝服部猛ノ両氏ヲシテ更ニ精測セラレタル侭実施ニ至ラス今日ニ及ヒタルモノニシテ、将来漁業ノ発達ニ伴ヒ之ガ必要ヲ認メルヲ以テ、昨秋道庁長官江差町巡観ニ際シ村有志ト共ニ之カ施行ヲ陳情シ尚書面ヲモ提出シ置ケリ。漁港ノ修築困難ナレバ船人澗ヲ是非修築セラルル様御尽力ヲ望ム。
三、水産試験場支場設置ノ件
 漁業ノ発展ヲ期スル上ニ於テ本場設置ノ必要ヲ認メ漁港修築ノ陳情ト同時ニ、長官ニ陳情及書面ヲ提出シ置ケリ。尚本年一月桧山支庁管内ニ水産試験場設置ノ義各町村長連署長官ニ陳情書提出シ置キタルヲ以テ何レモ設置セラルル様御尽力ヲ望ム。
四、漁業組織改善ノ件
 本村ニ於ケル漁業ハ末タ旧習ヲ脱セザルモノアリ。沖合漁業ヲ奨励指導シ漸次遠洋漁業ヲモナサシメ遺利ノ開発ヲナサシムル様努力ヲ望ム。
五、漁業組合設置ノ件
 本村ニ水産組合アルモ漁業組合ナシ、斯業ノ改良発達上遺憾ニ付之ガ設置ニ就イテ計画中ナリシモ果サズ、速カニ設置セラレンコトヲ望ム。
六、油鮫漁期調査ノ件
 本漁業ハ毎年十一月ヨリ翌年二月マデ就業シツツアル、未タ本魚ノ漁期確定セス、他ノ漁業トノ時間ノ利用上不都合ナルモノアリ、水産試験場等へ調査方屢々交渉ヲ重ネツツアルモ末タ決定セサルモノニ付速ニ決定スル様御尽力方ヲ望ム。
七、鯳子ノ製造法改善及ソボロ製造ノ件
 大字相沼内及泊川ハ鯳ノ漁業他ニシテ毎年鯳子ノ産額尠カラズ、漸次其製造ニ改良ヲ加へ声価高メツツアルモ尚改良ノ余地アリ。又鯳ハ全部肥料粕ニ製造シツツアルモ漁獲ノ幾部ヲ「ソボロ」ニ製造シテ価格ノ増収ヲ図ル計画ニテ前年試験的製造ノ実地指導ヲ其筋へ申請セルモ機械等ノ都合ニ依リ指導員派遣セラレズ、本年度ニ於テハ是非実行ノ予定ニテ其筋へ申請シ置ケリ共ニ御配慮ヲ望ム。
八、簡易氷蔵庫設置ノ件
 本村ハ雑魚豊富ナルモ交通機関備ハラス之カ販出不便ナルカ故ニ、価格ノ低下ト供給剰餘ノタメ出漁ヲ躊躇スルモノアリ、産業上ニ及ボス影響尠カラズ、然ルニ本村ニ既設ノ穴蔵ト称スルモノ十数ヶ所アリ、之ニ相当設備ヲ加ヘテ簡易ナル氷蔵庫トナシ鮮魚ヲ貯蔵シ置キ、汽船便ヲ待テ販出スルニ於テハ雑漁ノ発達ヲ見ルベク、亦雨天ニ漁獲セル柔魚ヲ貯蔵シ置キ、晴天ノ日ニ於テ乾燥セバ、之レノミニテモ莫大ノ利益ヲ得ルモノト思料セラレ、計画中ナリシモ果サズ相当御考慮ヲ望ム。
九、暴風警報信号標建設ノ件
 本件ハ屢々其筋へ上請ヲ重ネタル結果、本年度ニ於テ建設ノ事ニ決定セラレ、道庁当務者ヨリノ依頼ニ依リ標柱ハ本村ニ於テ準備シ置ケリ、桧山支庁へ照会至急建設セラルル様御取運相成タシ。
一〇、労働組合組織ノ件
 本村ノ産業不振ノ結果、毎年漁夫トシテ他管内へ出稼スルモノ七、八百人ニ及ヒ生産力ニ及ボス影響尠カラス憂慮ニ堪ヘサルモノアリ、将来本村産業ノ発達ニ連レ漸次減少スルハ当然ナルモ、近キ将来ニ於テ挽回覚束ナク、仍テ比較的優良ナルモノヲ出稼セシムル方法トシテ組合ヲ組織セシメラレンコトヲ望ム。
一一、薪炭備林設置ノ件
 薪炭備林トシテ未開物売払出願中ノモノアリ許可ヲ得ル様御配慮煩シ度シ、尚本村ノ薪炭備林トシテ一千町歩ヲ要スル見込ナルヲ以テ字関内疂岩官林裏等ヲ調査選定ノ上追願セラレタシ。
一二、不要林払下願ノ件
 本林ハ字関内ニアリ面積二百九十五町余ニシテ道庁当局トモ屢々交渉ヲ重ネ本村ニ売払ノ事ニ諒解ヲ得、実地調査セラレルコトニナリ居レリ急速御取達ヲ望ム。
一三、共同放牧場ノ件
 本村ノ共同放牧地ハ素地ノ侭貸付ヲ受タルモノ及売払出願中ノモノナルヲ以テ、受貸付地ニ就テハ期間満了ノ際売払ヲ受ケ相当施設ヲ望ム。
一四、苗圃分場設置ノ件
 本村ニ桧山営林区分署苗圃ノ分場設置方同分署長ニ交渉、諒解ヲ得置ケリ、至急セラルル様御取運相成タシ。
一五、椎茸養成組合設置ノ件
 大字泊川村住民共有林ハ椎茸栽培ニ適セルヲ以テ爾来之ガ栽培ニ就キ極力奨励ノ結果、手塚秀蔵、広田兵蔵ヲ中心トシテ組合設置ノ事ニ決定シ居レルヲ以テ御取運相成タシ、尚栽培指導ニ就テハ本年ヨリ三ヶ年引続キ道庁ヨリ技術員派遣実地指導セラルルコトニ当局ノ諒解ヲ得本年ハ既ニ実地ノ指導ヲ了セリ。
一六、村農会改善ノ件
 本村ハ漁村ナルカ故カ役員其人ヲ得サルカ、会員ハ概シテ村農会ノ存在ヲ認メ居ラサルモノノ如シ、総会ニ集合セス会費ハ容易納付セス、殆ント有名無実ノ現状ナルヲ以テ会員ノ自覚心ヲ喚起シ、根本的改善ヲ要スルモノト認ムルヲ以テ宜シク御努力ヲ望ム。
一七、産業組合指導及設置奨励ノ件
 既設ノ組合ハ昨年六月創立ニ係ル字関内信用販売購買組合一アル創立日残キヲ以テ宜シク御指導ノ上健全ナル発達ヲナサシムルト同時ニ相沼内、泊川方面ニ奨励設置ヲナサシムル様御尽力ヲ望ム。
一八、養蚕組合指導ノ件
 本組合ニアリ、一ハ大字熊石村ニ、一ハ相沼内村ニアリ、末タ幼稚ノ域ヲ脱セズ、宜シク御指導ノ上健全ニ発達セシメラレンコトヲ望ム。
一九、桐樹栽培組合設置ノ件
 本村ノ土地ハ桐ノ栽培ニ適スルヲ以テ栽培者多ク毎年其販出高尠カラス、之ヲ共同販売ヲナサシメ価格ノ向上ヲ図ルト栽培奨励等ノ為メ組合設置ノ必要ヲ認メ予メ勧誘シ置ケリ、相当時期ニ於テ組合設置セシメラレンコトヲ望ム。
二〇、見市温泉経営ノ件
 見市温泉ハ本村ニ於テ温泉地及宅地等官有地ヲ借受ケ従来個人ニ転貸営業セラレツツアリシモ法規上転貸ヲ許セザルコトニテ村ニ於テ経営スルコトトナリ、現在営業先ニ明ケ渡請求中ナリ、詳細ハ関係書類ニ就テ御承知ノ上相当御措置ヲ望ム。
二一、電灯事業ノ件
 本村有志ニ於テ株式組織ヲ以テ水力電灯会社創立計画ノ処、江差電灯株式会社ト妥協ノ上該会社ノ事業ニ移シ、本村ニ電灯組合ヲ設ケ、電灯ノ普及奨励及料金ノ徴収ナシ其手数料ノ交付ヲ受ケ維持費ヲ除キタル残額ハ、本村費ニ寄付ノコトニナリ居レリ、相当御処理ヲ望ム。
二二、火葬場設置ノ件
 本村ニハ火葬竃ナク宗教及衛生上ニ就テハ勿論薪炭材ノ乏シキ本村トシテハ薪炭ノ節約上ニモ実ニ遺憾トス。毎大字ニ必要ナルモ先以テ大字熊石村ヨリ初メ漸次各大字ニ設置セラレンコトヲ望ム。
二二、村医採用ノ件
 村医壱名欠員ナリ諸方面ニ依頼シ置ケルモ適任者ヲ得ス、衛生施設上実ニ遺憾トスル処ナリ、急速採用方御尽力ヲ望ム。
二三、本村八雲間道路開通式ノ件
 本道路ハ本年六月頃全通スルノ豫(定欠)ニ付、八雲ト交渉ノ上、適当ノ時期ニ於テ開通式ヲ挙行シ、道庁長官ヲ始メ顕官ヲ招待シテ本村ヲ紹介セラレタシ。経費ハ儀式費トシテ本年度予算ニ計上シ置タルヲ以テ、其他ハ寄付ヨリ処理ヲ望ム。
二四、駅逓所新設ノ件
 本村八雲間道路及本村ヨリ太櫓及久遠ニ通スル道路ノ連絡上二ヶ所ノ新設方毎年其筋へ上請陳情シアリ、太櫓、久遠ノ一ヶ所ハ兎モ角、本村八雲間道路ニハ是非設置セラルル様其筋ニ迫リ速成ヲ期セラレタシ。
二五、忠魂碑建設ノ件
 本村二在郷軍人分会ニアリ、熊石村分会ニ属スル忠魂碑ハ前年建設セリ。相沼、泊川分会ニ対シテハ勧誘ノ結果、本年中ニ建設ノ事ニ決定シ居レリ、相当御尽力ヲ望ム。
二六、相沼尋常高等小学校舎増築ノ件
 本校々舎ハ狭隘ニシテ全児童ヲ一時ニ収容スルヲ得サル為メ二部教授ヲ施行シツツアルト、本年度ヨリ就業年限二ヶ年ノ高等小学校ノ教科ヲ併置セルトニヨリ二教室(七十坪五合)増築ノ認可ヲ得、本月二十日之ガ工事請負ヲ競争入札ニ附スヘク公告シアリ、予算ノ範囲内ニ於テ相当経理ヲ望ム。
二七、雲石尋常高等小学校増築ノ件
 本校舎モ狭隘感ジツツアリ、屋内運動場ヲ増築シテ現在ノ屋内運動場ヲ教室ニ変更スベク本年二月本村会ニ諮問ノ結果、明年度迄延期ノコトニナリ居レリ、村財政ヲ考慮シ相当施設ヲ望ム。
ニ八、各小学校ノ敷地整理ノ件
 土地連絡調査ノ結果ニ依ル異動及寄附ヲ受タル土地ニシテ寄付者所在不明ノ為メ所有権移転ノ手続未了ノモノアリ宜シク御処理ヲ望ム。
二九、青年会指導ノ件
 本村ニ於ケル各青年会ハ漸次発達シツツアルモ内容ノ改善ヲ要スルモノ等アリ、未タ優良ト認ムヘキモノナシ宜シク御指導ノ上、其域ニ達セシメラレンコトヲ望ム。
三〇、処女会設置ノ件
 計画中ナリシモ果サス、各小学校長トモ協議ノ上設置方取計相成タシ。
三一、納税思想涵養ノ件
 本村ハ決算マデノ納入ハ良成績ナルモ納期内ノ納入ハ至テ不良ニシテ、従来完納者ニ対シテ本村ノ規定ニ依リ、表彰ヲ行フ等之カ改善ニ努力シ来リタルモ未ダ以テ予期ノ域ニ達セズ、一段ノ努力ヲ以テ改善セラレンコトヲ望ム。
三二、時間励行ノ件
 時間ヲ厳守セザルハ一般ノ通弊ナルモ当地方ハ殊ニ甚シキモノノ如シ、仍テ時間空費ヲ矯正シ、時刻ノ励行ニ格段ノ御努力を望ム。
 大正九年度村費仕訳書
 大正九年度特別会計仕訳書
 大正拾年度村費仕訳書
 大正拾年度特別会計仕訳書
 (添付省略)
 大正十一年
 ○雲石小学校一教室、昇降口、廊下、便所等増築(費用千六百円)。
 ○部長制に第十九部(相沼上)を加える。
 ○熊石村消防組員手当給与規定を大幅に改正する。
 ○十二月十九日相沼内水利使用について次の者から願い出があり、村会議員に書面諮問を次のように行った。
 水利使用ノ件
 函館市東雲町二百七十九番地
 瀬川 猪三
 小樽市富岡町一丁目二十番地
 田辺 新一
 小樽市緑町二丁目十二番地
 河原 盛孝
 寿都町大字大磯町五十五番地
 土谷 重右衛門
 寿都町大字新栄町十五番地
 西沢 金四郎
 磯谷郡磯谷村大字横澗村四十一番地
 佐藤 栄五郎
 函館市相生町十三番地
 和歌山 啓次郎
 右ノ者ヨリ発電原動力ニ使用スル目的ヲ以テ本村相沼内川(古川岱)水利使用許可申請アリタル趣ニテ本村直接行政上ノ意見諮問セラレ候処堰堤築造等ノタメ洪水時ニ際シ河水汎溢シ附近耕地ニ侵水スル虞アル個所へ相当施工防備ヲ構スルニ於テハ公益上支障ナキモノト認ム
 大正十一年十二月十九日
 熊石村長■(角印)
 右大正十一年十二月二十日原案ノ通リ支障ナキ旨ノ答申ヲ得タリ
 この結果により相沼内水力発電所ダム工事は翌12年より着手することとなった。
 大正十二年
 ○二月定例会で雲石道路沿大字熊石村字大窪に駅逓所を新設することとした。
 ○基本財産取り崩し及び一時借入金をもって予算七千七十円で、雲石小学校屋内運動場百〇一坪建築、また、その敷地畑五畝十二歩を百六十二円で買収す。十一月末完成。
 大正十三年
 ○一月村会に兼ねて見市温泉の転貸について訴訟中であったが、前年十二月二十二日判決により明渡しを執行し、十年に設定された「熊石村温泉管理規則」を改訂した。これによると入浴料は一人一日五銭、宿泊料は一等二飯一泊二円、昼食料一円、二等一円五十銭、五十銭、三等七十銭、三十銭、等外自炊者は一日三十銭である。
 ○四月一日の異動で村長中野隆暉が退職、中烏有郷が村長となったが、四月十四日の事務引継書によれば、当時の熊石村では次のような問題点があった。
 引継演説書
 一、村是調査会設置ノ件
 本村ニハ末夕村是ノ確立セルモノナキヲ以テ大正十三年度ニ於テ之カ調査ニ着手スル予定ニテ調査機関トシテ村是調査会設立ノ見込ナリシヲ以テ相当御措置アリタシ
 二、共同薪炭備林及共同放牧地ノ件
 本村共同薪炭備林及共同放牧地トシテ売払ヲ受クルヘキモノハ夫々出願其大部分ハ既ニ獲得セルモ尚末タ許可ヲ見ルニ至ラサルモノ及最近売払告示セラレタルモノニシテ出願未済ノモノ等一、二有之ヲ以テ可成速ニ獲得セラルヽ様御尽力ヲ望ム尚既ニ売払ヲ受ケタルモノ及売払出願中ノモノニシテ村財政及管理経営ノ関係上土地及立木ノ買受代金ヲ地元住民ニ寄付セシムルト共ニ該土地ノ使用収益ニ就キ関係部落民ニ優先権ヲ与ヘタルモノアリ之カ詳細ハ当時ノ村会議決書ニ明カナルヲ以テ相当御措置ヲ望ム
三、産業組合ノ指導及設置奨励ニ関スル件
 本村部内ニ産業組合ノ設立セラルルモ未タ一組合ニ不過然モ尚幾多内容ノ改善ヲ要スルモノヽ如ク認メラルルヲ以テ宣敷ク御指導ノ上充分其機能ヲ発揮セシムル様御尽力アランコトヲ望ム
又部内学幌目ニ於テ組合設立ノ計画アルヲ以テ之カ実現ヲ助長セラレ度ク相沼、泊川方面ニ対シテモ御奨励設置セシムル様御尽瘁アランコトヲ望ム
四、見市温泉経営ノ件
 見市温泉ハ本村ニ於テ温泉地及宅地等ノ官有地ヲ借受ケ従来之ヲ個人ニ転貸シ居リタルモ転貸ヲ許ササルコトトナリタルヲ以テ転借人ニ対シ之カ明渡ヲ要求スルモ不応止ムナク大正十年中明渡請求訴訟ヲ提起シ今尚係争中ニ有之詳細ハ関係書類ニ就キ御精査ノ上相当御措置アランコトヲ望ム
尚当該官有地ノ借受期間ハ本年五月八日ニテ満了スヘキヲ以テ引続キ賃貸方札幌税監督局ニ出願中ナルカ之カ許否ハ本件ノ死活ニ係ル重要事項ナルヲ以テ是非許可ヲ受クル様特ニ御尽瘁アランコトヲ望ム
五、火葬場設置ノ件
 本村ニハ未タ火葬竃ノ設無ク風教及衛生上ハ勿論薪炭ニ乏シキ本村ニ於テハ之カ節約ノ上ニ於テモ遺憾トスル処ニシテ之カ設置ハ一般村民ノ希望スル処ナルヲ以テ可成速カニ設置セラレンコトヲ望ム
六、各小学校敷地整理ニ関スル件
 部内小学校敷地ニシテ民有地ノ寄附ヲ受ケタルモノノ内寄附者所在不明等ノタメ所有権移転手続未済ノモノ並ニ雲石小学校及関内分教場敷地ニシテ民有地ノ買収ヲ要スルモノアリ宜シク御処理ヲ望ム
七、納税思想ノ涵養ニ関スル件
 本村ハ国税地方税ノ納入ハ比較的良好ナルモ一般ニ村税ヲ軽視スルノ嫌アリ為ニ納期内納入成績最モ不良ナルモノアルヲ以テ之カ改善ニ就テハ不断ノ努力ヲ払ヒツツアリト雖モ未タ予期ノ域ニ達セス甚タ遺憾トスルナリ之カ矯正ニ就テハ特段ノ御尽瘁ヲ望ム
八、相沼尋常高等小学校御真影奉置所建築ノ件
 部内相沼小学校ニハ未タ御真影奉置所ナク奉衛上寔ニ遺憾トスル処ナリシカ今般同校通学区域タル相沼内、泊川両大字有志相謀リ之カ建設ヲ企画シ建設費千五百円ハ既ニ両村住民ヨリ寄附スルコトニ決定シ居ルヲ以テ之カ完成ニ御助力アランコトヲ望ム
九、相沼小学校々舎屋根葺替ノ件
 相沼小学校々舎屋根ハ葺替後数年ヲ経過シ腐朽甚タシキヲ以テ本年度内適当ノ時期ニ於テ予算更正ノ上亜鉛板ヲ以テ葺替スルコトニ各村会議員ノ諒解ヲ得アルヲ以テ相当御措置アリタシ
尚之カ経費ノ内へ相沼内村有志ヨリ二百円寄附ノコトニ決定シ居ルヲ以テ収納ノ手続アランコトヲ望ム
十、漁港修築ニ関スル件
 本村ノ漁港修築ニ就テハ明治二十二年度及明治四十年ノ両度道庁ヨリ技術官出張調査設計ヲ為シタルママ実施スルニ至ラス爾来放任セラレタルカ近年沖合漁業ノ発達ニ伴ヒ益々其必要ヲ痛感セラレルモノアルヲ以テ大正十年本職就任早々之カ速成ヲ唱導シ村有志ト相謀リ漁港ノ修築容易ナラサルモノアルヲ以テ先小規模ノ船入澗ノ築造ヲ企画シ之ヲ請願シ屢々陳情要請シタル結果大正十一年二月中道庁ヨリ技師沢田実氏ヲ派遣実査セシメ之カ設計完成セルヲ以テ本村ハ船入澗修築期成同盟会ヲ組織又北海道築港期成同盟会に加盟シ内外相呼応シテ速成ヲ期スルノ策ヲ採リ一面当区選出中西前代議士ヲ介シ衆議院ニ請願採択セラルルニ至リアルモノニシテ目下運動中ノモノ之カ希望ノ達成モ近キ将来ニアルト思料セラルルヲ以テ今後運動ヲ継続シテ其実現ニ努力セラレンコトヲ望ム
 未了書類 (庶務)
一、地方税戸数割附加税制限外賦課ノ件
 本件ハ目下内蔵両大臣ニ許可申請中ノモノナルヲ以テ許可指令アリ次第完結スヘキモノナリ
一、地方税戸数割附加税制限外賦課ノ件
一、間接地方税附加税賦課ノ件
一、熊石村温泉管理規則設定ノ件
一、熊石村温泉管理費特別会計規則設定ノ件
一、地方税雑種税附加税制限外及不均一賦課ノ件
一、共同薪炭林管理規則中改正ノ件
 以上ハ何レモ北海道庁長官ニ許可申請中ノモノニシテ許可アリ次第完結スヘキモノ速カニ許可指令ヲ得ル様御措置アリタシ
一、自治協会経費補助ノ件
一、教育会経費補助ノ件
一、青年団経費補助ノ件
一、衛生組合経費補助ノ件
一、土地売払出願ノ件
 以上ハ何レモ檜山支庁長ニ行為ノ許可申請中ノモノナルヲ以テ可成速カニ許可相成候様御措置アリタシ
一、教員俸級補助申請ノ件
 本件ハ北海道拓殖費ヨリ相沼尋常高等小学校二股特別教授所教員俸給ノ内へ補助方申請ノモノナルヲ以テ相当御措置を望ム
一、行賞上申ニ関スル件
 本件ハ相沼尋常高等小学校校舎増築費ヲ寄附セル山田友右衛門ニ対スル行賞上申ニ関スルモノナルカ未タ詮義ナラサルモノ相当御措置ヲ望ム
一、駅逓敷地寄附ノ件
 本件ハ本村ニ新設セラレタル官設駅逓所敷地トシテ寄附セル村有土地ノ寄附願ニ関スルモノナルカ末タ許可指令ニ接セサルタメ完結ニ至ラサルモノ相当御処理ヲ石ム
 (勧業)
一、蚕種準備ニ関スル件
 各養蚕家ヨリ蚕種購入斡旋方受託ノモノ日支、日欧交配取混六十七枚檜山支庁へ申込中ノ処内日支交配二十九枚到着存置シアルヲ以全部到着ノ上夫々申込者ニ分配セラレタシ
一、大鯖(さば)流網業嘱託試験申請ノ件
 本村大字熊石村加藤吉太郎ヨリ大鯖流網業嘱託試験申請ニ対シ副申ノ処書類整備追送方申越アリ目下本人ニ示達中ニ付提出次第進達アリタシ
一、宮城写真帳代金ニ関スル件
 宮城写真帳代金未送付七円五十銭各購入未払者ニ対シ目下督促中ニ付徴収次第送金アリタシ
一、椎茸人工栽培ニ関スル件
 前年以来大字泊川村共同経営ノ下ニ椎茸人工栽培ヲ企画シ道庁ヨリ指導員ノ派遣ヲ乞へ原木伐採諸般ノ準備ヲ整へ本春之レカ原木ニ対スル胞子ノ播種栽培ニ付適当ノ季節ニ講師派遣方申請中ニ付可然指導経営ノ完成ヲ期セラレタシ
一、種苗配付ニ関スル件
 本村ハ一般家庭ノ副業トシテ養蚕ニ好適シ相当収量ヲ見ツツアリテ熊石養蚕組合ノ設置アルモ未ダ共同桑園ノ設置ナク専ヲ野桑ニ依ルノ外ナキ状態ニシテ霖雨其他不時ノ場合ニ備フル設置ナキヲ以テ本春農事試験場ヨリ桑苗道産種及其他計四千二百五十本ノ無償配付ヲ受クルニ決定近ク熊石港揚トシテ着荷ノ筈ナルヲ以テ夫々配付決定人名者ニ分配アリタシ而シテ道産種三千本ハ当初熊石村農会ノ配付出願ナリシモ不幸同農会ハ解散ノ運命ニ立至リ近ク解散手続完了ノ趣ヲ以テ曩ニ出願決定ノ桑苗ハ全部之レヲ熊石養蚕組合ニ配付協定ノ旨申出ニ付可然配付アリタシ
一、産業指導計画ニ関スル件
 大正十三年産業指導計画中熊石村農会主催計画ノモノアルモ村農会解散ニ付期日決定ノ上ハ本村主催トシテ開会セラレタシ
一、副業奨励活動写真利用講演会開催ノ件
 本年六月中相沼及雲石尋常高等小学校ニ於テ副業奨励活動写真開催ノ計画ナルヲ以テ開催決定ノ場合ハ経費其他ノ準備ニ付適当ノ方法ヲ講セラレタシ
一、活動写真利用講演会開催計画ニ関スル件
 大正十四年一月中相沼、雲石尋常高等小学校ニ於テ活動写真利用講演会開催ノ計画ナルヲ以テ開催期日決定ノ上ハ前項同様入場料徴収又ハ寄附其他ノ方法ニ依リ開催関係部落ニ於テ経費充当スル様取計アリタシ而シテ目下副業奨励活動写真利用講演会開催計画ト共ニ期日場所等ヲ定メ開催希望申出ト同時ニ一開催場所所要経費照会中ナリトス
一、度量衡器ニ関スル件
 相沼尋常高等小学校ニ於テ大正十三年度中度量衡器購入計画ニテ適当ト認メラルル各種目取調通報方其筋へ照会中ニ付回答次第同校へ通知セラレタシ
一、蚕種配付ニ関スル件
 大日本蚕絲会北海道支会ヨリ無償配布希望蚕種日支交配ニ十八蛾付十二枚申込中ニ付到着ノ上ハ各申込者へ配布アリタシ
一、水利権確認願ノ件
 大字相沼内村木村惣吉外十六名ニ係ル灌漑溝確認願末提出ニシテ再三督促提出方示達ノトコロ右ハ関係地主中地積ノ大ナル西尾清太郎ニ万事一任アル趣ニテ進捗セサルヲ以テ一応同氏ニ付取調方照復用紙ヲ以テ支庁ニ回答ノ侭未処理ニ付支庁ニ打合処理アリタシ
一、産業組合定款ニ関スル件
 本村大字熊石村字幌目ニ於テ従来共同購買実施シアリシモ組織不完全ナルヲ以テ之ヲ販売購買組合設置ニ改メタキ意嚮ナルヲ以テ之レカ既設産業組合中優良ト認メラルル組合定款一部謄写方支庁ニ照会中ニ付送付ヲ侯ツテ設置方指導アリタシ
一、御成婚記念神社植樹ノ件
 本件実施方部内神社ニ照会中ナルモ申出ノモノ一神社アルノミニテ他ハ末タ申出ナキニ付取調ノ上処理アリタシ
一、土地所有権移転登記嘱託ノ件
 (事務処理のみに付省略)
一、土地寄附願関係書類捺印方依頼ノ件
 (事務処理のみに付省略)
一、大正十三年度樹苗圃並荒廃地造林補助ノ件
 (事務処理のみに付省略)
一、道路無願占用整理ニ関スル件
 (事務処理のみに付省略)
一、道路敷地処分ニ関スル件
一、港湾状況調査ノ件
 (事務処理のみに付省略)
一、未開地売払願
 大字相沼内村字上山未開地六十弐町九段壱畝四歩共同放牧地トシテ出願中ニ付許可ノ上ハ可然処理アリタシ
一、堤防敷地使用願ノ件
 村費支弁タル平田内川及冷水川堤防敷地物揚場トシテ使用出願ノモノアルニ付相当処理アリタシ
 (兵事・戸籍)
一、在郷軍人名簿ニ関スル件
 在郷軍人名簿ノ整理ニ就テハ常ニ敏捷ナル取扱ヒヲナシツヽアルモ未タ完全ナルコトヲ保シ難ク目下異動ニ対スル各種手続方法等ニ付機会アル都度注意徹底ヲ図リツヽアルモ本村名簿ハ創造以来一回モ司令部(聯隊区)ト照合ヲナサザル結果不符合ノ廉アルヲ免レス之レカ対照ヲ励行シ趣旨ノ貫徹ヲ期セラレタシ
一、動員計画ニ関スル件
 動員計画準備書類調製ニ付テハ着々進捗シツツアルモ従来吏員ノ更迭ノ多カリシ為メ何レモ事中途ニ終リヲル状態ナルヲ以テ之レカ指示督励ヲナシ理想的計画遂行ニ努メ完成ヲ期セラレタシ
一、徴兵終決処分末済所在不明者調査ノ件
 本村ニ於ケル徴兵終決処分末済所在不明者ノ数多ク現在十名アリ之レカ調査ニ就キ文書其ノ他ノ方法ニ依リ毎年反復調査シツツアルモ末タ整理ニ至ラス相当期間ニ到達セルモノニ対シテハ失踪宣告ノ手続等ニ依リ処分整理ヲ遂ケラレタシ
一、寄留簿整理ニ関スル件
 住所寄留簿及居所寄留簿共ニ末タ完全ナル整理ニ至ラス無届退去或ハ現在寄留者ニシテ届出ヲナサザル者等ノ事実ノ調査ヲナシ確実ナル整理ヲ遂ケラレタシ
一、徴兵検査通達書交付ニ関スル件
 本村ニ於ケル大正十三年度壮丁者(本籍人八十四名及事故止ノ者一名計八十五名外ニ入寄留ノ者三名其ノ内既ニ寄留地受検許可ヲ得タル者三十名ナルモ残リ五十八名ニ対シ末タ通達書ノ交付末済ニシテ目下夫々着手シツツアリ)
一、戸籍謄抄本交付末済ノ件 ナシ
 この引継書を見ても学校整備、漁港修築等が緊急課題となっていたほか、鰊漁中絶後の副業としての牧畜、養蚕業振興のための村の指導方策、さらには代替漁業の模索等懸案事項が山積していたことがよく分る。
 ○十月の村会で、議案第五号として「船入澗修築申請」の議決をした。
 大正十四年
 ○十二月関村長及び村会議員田村一治が出札して道庁長官及び港湾課長に対し次の陳情を行った。
 陳情書
一、爾志郡熊石村船入澗修築ニ関スル件
 爾志郡熊石村ハ沿岸五里餘ノ海田ヲ有シ水産物ノ収獲高ハ檜山支庁管内ニ於ケル唯一ノ漁村ニシテ戸数一千二十三戸人口六千五百四人ヲ有シ往時ハ鰊漁ヲ以テ生計ノ基礎タリシモ其後鰊漁ノ逐年減少ト共ニ一般漁民ハ将来沖合及遠洋ノ漁業ニ依ラサルヘカラサルヲ自覚シ既ニ漁船漁具ノ改良ニ努メ漸次其ノ緒ニ就キ今ヤ石油発動機船ヲ購入シ着々其ノ歩ヲ進メツツアルモ如何セン風浪ニ際シテハ之等漁船ヲ繋留スヘキ船入澗ナク斯業ノ発達ヲ阻害スルノミナラス今ヤ一村産業ノ興廃ニ関スル状態ナリ故ニ船入澗修築ニ関シテハ歴代ノ長官閣下ニ陳情シ且ツ貴衆両院ニモ請願書ヲ提出シテ採択ヲ得ツツアリト言ヘトモ未タ其ノ実現ヲ見ル能ハサルハ甚タ遺憾ニ甚ヘサル次第ナリ当船入澗修築ニ関シテハ御庁ニ於テモ既ニ其ノ必要ヲ認メラレ明治四十年ニ測量設計セラレ其後大正十一年ニ更ニ測量設計セラレ尚大正十三年ニ於テ経済調査等モ相済ミ候ニ就テハ今ヤ本村ノ現状ニ鑑ミ此侭推移ヲ許ササル状態ナルヲ以テ速カニ本港修築セラレンコトヲ
一、熊石八雲間道路改良工事施行方ノ件
 熊石村ヨリ八雲町ニ通スル道路ハ明治四十二年ニ起工セラレ大正十年ニ完成シ此ノ道路ノ開鑿セラレタルニ依リ久遠郡久遠村以南ノ住民及函館札幌方面ヨリ往復スルモノニ対シテハ大ナル利便ヲ得ルニ至リタルモ現在ノ道路幅ハ六尺乃至七尺ニシテ加フルニ各所ニ急坂多ク車ヲ通スルコト不能ナルノミナラス人馬ノ交通ニモ容易ナラサル所多ク本道路ハ久遠村以南江差町迄十八里ノ間ニ於ケル鉄道線路ニ連絡スル道路ハ本線ノミニシテ最モ必要ナル路線ニ有之既ニ自動車及客馬車営業ノ計画ヲナシツツモノアルモ前述ノ状態ニシテ道路経済上ニ於テ将タ交通政策上ニ於テ甚タ遺憾ニ堪ヘサル次第ニ有之候ニ付速カニ改良工事ヲ施行セラレンコトヲ
一、熊石村ヨリ江差町迄ノ道路改良工事ノ件
 熊石村ヨリ江差町迄十二里餘此ノ間江差町ヨリ大字乙部村間大字蚊柱ヨリ熊石村ニ至ル間ハ車馬ノ交通稍々容易ナルモ大字蚊柱村ヨリ大字乙部村間三里餘ハ人馬ノ交通スラ容易ナラサルノミナラス危険甚タシク本路線ハ今ヨリ三十四、五年前ニ開鑿セラレタルモノニシテ其後多少ノ改良ヲ施サレタルモ今尚旧態ノ侭ニシテ加フルニ当地ハ漁業及取引関係上江差及乙部村トハ密接ノ関係ヲ有シ常ニ住民ノ往復繁ナルヲ以テ急速改良工事施行セラレンコトヲ
右謹テ陳情仕候也
 大正十四年十二月九日
 爾志郡熊石村長 関 琢治郎
 檜山水度会熊石支部長 田村 一治
 北海道庁長官 中川 健蔵 殿 
 大正十五年
 ○六月定例会に於て雲石青年訓練所、相沼青年訓練所を七月一日より開所することを議決し、その規則を設定した。

 大正年代の熊石村の財政規模
 大正年代の熊石村の財政規模を次の予算対比として、大正元年、大正5年、大正10年、大正15年と5年毎に収支を計上して、その予算の増減を対比した。明治40年頃には1万6000円台の財政規模であった熊石村が、鰊凶漁によって冗費や不急の予算を極力削減して緊縮財政を堅持して大正期を迎えたが、年毎に物価は増向するのに反比例して、凶漁による漁家の収入が減少したことから、村の主税である戸別割の規模も低下し、その財源確保に苦慮する状況であった。さらに欧州大戦、全国的凶作による米価高騰から大正8年以降は従来の倍以上膨張となったが、しかし、それは予算金額の上の問題で、実質的には大正5年の予算水準より低下していることが認められる。
 支出の面では最大の支出は教育費で、大正元年は全体支出の59%、5年では45・5%、10年では52・6%、15年では57・6%である。5年の教育費が急激に低くなっているのは、3年の泊川、関内両小学校の分教場化と、それに伴う教員定数の減によるものであるが、これは経常費のみであって、この外校舎の立替え、土地買収等を加えれば、教育費は優に70%以上を占めていて、いかに小学校教育が村の財政を苦しめていたかを知ることができる。さらに15年の教育費増向は青年訓練所設置が法制化され、7月1日開所による経費の増加によるものである。

大正年代熊石村経常費予算対比

歳入

予算科目 大正元年
(明治44年)
大正5年 大正10年 大正15年
(昭和元年)
第1款 使用量及び手数料        
288 ・55 393 ・00 716 ・00 890 ・00
第2款 国庫下渡金     1、288 ・00 7、432 ・00
第3款 雑収入 623 ・03 914 ・00 1、129 ・00 2、745 ・00
第4款 前年度繰越金 1、223 ・62 850 ・00 150 ・00 700 ・00
第5款 地方費補助 133 ・93 301 ・00 590 ・00 130 ・00
第6款 国庫交付金 58 ・22 101 ・00 108 ・00 151 ・00
第7款 地方税交付金 190 ・18 176 ・00 204 ・00 288 ・00
第8款 児童就学奨励交付金       12 ・00
第9款 村   税 10、584 ・93 9、977 ・00 24、987 ・00 33、980 ・00
  1項 所得税割 150 ・32 63 ・00 14 ・00 98 ・00
  2項 国税営業税割 49 ・75 33 ・00 258 ・00 488 ・00
  3項 個別割 8、664 ・72 8、214 ・00 20、465 ・00 27、599 ・00
  4項 地方税営業税割 96 ・41 103 ・00 209 ・00 450 ・00
  5項 地方税雑種税割 136 ・93 125 ・00 600 ・00 3、481 ・00
  6項 特別税反別税 1、172 ・02 164 ・00 1、813 ・00 1、740 ・00
  7項 鉱業税割 ・27 ・00 28 ・00 ・00
  8項 遊興税割       120 ・00
地価割 152 ・80 174 ・00     
寄付金 752 ・70         1、200 ・00
水産税割     1、100 ・00 1、600 ・00    
基本財産支消金         3、000 ・00    
13、855 ・156 12、712 ・00 33、372 ・00 46、328 ・00

歳出

予算科目 大正元年
(明治45年)
大正5年 大正10年 大正15年
(昭和元年)
第1款 役場費            
1、897 ・32 2、259 ・00 6、029 ・00 7、387 ・00
第2款 会議費 111 ・17 198 ・00 462 ・00 323 ・00
第3款 土木費 148 ・40 73 ・00 150 ・00 100 ・00
第4款 教育費 6、039 ・87 5、785 ・00 17、564 ・00 26、726 ・00
第5款 衛生費 70 ・64 433 ・00 1、020 ・00 540 ・00
第6款 衛生補助費 60 ・00 60 ・00        
第7款 村医費 780 ・00 360 ・00 2、400 ・00 3、240 ・00
第8款 警備費 276 ・39 466 ・00 648 ・00 1、385 ・00
第9款 勧業費 19 ・10 75 ・00 100 ・00 150 ・00
第10款 補助費 607 ・00 422 ・00 (366 ・00) 596 ・00
第11款 諸税及負担 66 ・39 72 ・00 98 ・00 112 ・00
第12款 雑支出 150 ・44 666 ・00 705 ・00 1、275 ・00
第13款 予備費   170 ・00 300 ・00 300 ・00
第14款 特別会計繰入金 12 ・00 120 ・00 170 ・00 364 ・00
(第1款) 社費   15 ・00 30 ・00 70 ・00
(第15款) 神社補助費   100 ・00    
臨時部支出 (決算額) 1、438 ・00 補助費は臨時部支出 4、034 ・00
3、696 ・00
10、238 ・71 12、712 ・00 33、372 ・00 46、328 ・00

 次に予算編成は歳入予定を押えながら編成されるが、戸別割個々の格付については村会においても厳格を極め、臨時の委員を設けてその格付を村当局の原案を検討し、原案がズタズタにされる程の審査を経て決定された。また、支出予算の根拠についても付記に於いてその算出根拠を明確に記入しているが、村会議員のなかには商業関係者も多く、積算根拠をめぐって、しばしば原案の改訂を迫られることが多かった。
 しかし、その予算書によって当時の村情が明確にすることができ、各学校教員数、消防組員数も把握でき、さらに当時の行政の進め方、物価指数等を知る上で貴重なものであるので、次のように大正2年の予算書を掲出する。

熊石村大正2年度歳入歳出予算表・歳入

歳入

科目 前年度予算額 本年度予算額 付記
第1款 使用料及手数料 276 000 271 000  
 1項 使用料 16 000 11 000 墓地使用料二坪分一円、一坪五拾銭
火葬場使用者百人分拾円、一人拾銭
 2項 手数料 80 000 80 000 戸籍手数料金七拾円、諸手数料拾円
 3項 督促手数料 180 000 180 000 督促手数料
第2款 雑収入 859 335 1、268 500  
 1項 不用品払下代 000 000 反古其他不用品払下代
 2項 小学校授業料 302 500 302 500 高等科生徒五十人内二十銭ノ者四十五人、
拾銭ノ者五人 十一ケ月分百四円五五十銭
尋常科五六年生徒二百人内拾銭の者百六十人、
五銭ノ者四十人十一ケ月分百九八円
 3項 行旅病死人
費用繰替金
20 000 20 000 行旅病死人費用弁償金
 4項 過年度収入 490 835 900 000 過年度滞納村税其他収入見込額
 5項 在郷軍人応召
旅費用繰替金
30 000 30 000 在郷軍人應召旅費繰替金戻入
 6項 滞納処分弁償金 15 000 15 000 滞納処分費弁償金
第3款 前年度繰越金 1、223 618 200 000  
 1項 前年度繰越金 1、223 618 200 000 大正元年度繰越金
第4款 地方費補助 429 000 103 000  
 1項 教員住宅費補助 362 000 12 000 教員住宅料二十四円ニ対スル地方費補助
 2項 衛生費補助 67 000 91 000 衛生費補助
第5款 国庫交付金 43 000 47 000  
 1項 国庫交付金 43 000 47 000 金四十円所得税営業税徴収予算高千円ノ百分ノ四
金七円地租徴収予算高千円ノ千分ノ七
第6款 地方税交付金 130 000 160 000  
 1項 地方税交付金 130 000 160 000 地方税徴収予算高四千円ノ百分ノ四
第7款 村税 10、509 740 10、249 950  
 1項 地価割 165 150 166 500 金四十円五十銭宅地地租予算高四百五十円本税一円に付金九銭
畑其他土地地租予算高六百円本税一円ニ付二十一銭
 2項 所得税割 150 000 135 000 所得税予算高九百円本税一円ニ付拾五銭
 3項 国税営業税割 49 500 45 000 国税営業税予算高三百円本税一円ニ付金拾五銭
 4項 戸別割 8、667 450 8、448 000 地方税戸数割予算高千五百三十六円本税一円ニ付金五円五十銭
 5項 地方税営業税割 93 000 93 000 地方税営業税予算高百八十六円本税一円ニ付金五十銭
 6項 地方税雑種税割 122 000 102 020 地方税雑種税予算高二百四円四銭本税一円ニ付金五十銭
 7項 水産税割 1、097 500 1、100 000 水産税予算高二千二百円本税一円ニ付金五十銭
 8項 特別税反別割 165 140 160 430 百五十六円五十三銭無租畑地三百八十一町三反三畝四歩一反歩ニ付金四銭
金八十八銭無租宅地一町七反七畝一歩一反歩ニ付金五銭
金二十七銭無租雑種地六反八畝十九町歩一反歩ニ付金四銭
金二円七十五銭無租田地三町九反二畝二十六歩一反歩ニ付金七銭
第8款 寄付金 614 000 550 000  
 1項 寄付金 614 000 550 000 雲石校瓦屋根一棟ニ対スル指定寄付金五百五十円
合計   14、084 693 12、849 450  

歳出

科目 前年度予算額 本年度予算額 付記
第1款 役場費 1、854 950 2、027 650  
 1項 給料 498 000 725 000  
 1目 収入役給料 228 000 240 000 月俸二十円 十二ケ月分
 2目 付属員給料 168 000 480 000 月俸拾五円 二人十二ケ月分 三百六十円
月俸拾円 一人十二ケ月分  百二十円
 3目 臨時雇給料 102 000 000 日給五十銭拾日分
 2項 雑給 624 700 567 700  
 1目 旅費 55 000 60 000 収人役及付属員旅費
 2目 実費弁償 55 000 55 000 部長十八名内六名ハ年額六円宛十二名ハ年額一円五拾銭宛五十四円、臨時委員手当一円
 3目 退職給与金 10 000 10 000 吏員退職給与金
 4目 使丁給 134 500 124 500 日給三十銭三百六十五日分百九円五十銭、督促状交付使丁一人五十銭五十日分二十五円
 4目 雇人料 24 200 22 200 演習召集状其他書類配付人夫十五人分金六円一人四十銭、薪運搬
挽割人夫拾人分金五円一人五十銭、役場内外掃除倉庫便所掃除人

夫十五人、暖炉据付取除人夫三人、雑役人夫拾人計二十八人分
金十一円二十銭一人四十銭
 6目 慰労費 310 000 250 000 吏員職務勉励慰労金
 7目 住宅料 36 000 36 000 村長住宅料一ケ月三円宛十二ケ月分
 3項 需要費 693 750 709 950  
 1目 備品費 75 100 60 600 官報代七円二十銭、法曹記書代一円二十銭
自治機関代一円二十銭、
法規時報地方事務例規月報兵事法規地方費法提要其他法規加除録代十五円、
諸法規及参考書代拾五円、暖炉付属品代三円、諸器具器械新調修繕及諸品代拾五円
 2目 消耗費 289 900 270 700 薪材拾棚代三十九円、木炭四百貫代二十八円、石油七缶代拾七円五十銭、
?燭一貫目代二円五十銭、鉄筆八本代一円、生麸五斤代七十銭、印肉代十二円、
諸用紙代百六十円、其他諸品代拾円
 3目 賄費 29 200 29 200 吏員宿直賄料三百六十五夜分拾八円二十五銭一夜五銭、
使丁宿直賄料三百六十五夜分金拾円九十五銭一夜三銭
 4目 通信運搬費 185 000 187 000 通信費百六十二円、運搬費二十五円
 5目 印刷費 58 200 71 600 諸達類議案決等印刷代十三円、納付書・納税告知書・徴税伝令書・
徴税令書・督促状・手数料令書・種痘票・差押調書・其他印刷代四拾円、
謄写版原紙千枚代十五円、謄写版用インキ八缶代三円六十銭
 6目 雑費 55 850 90 850 為替手数料五十円、新間代一ケ年分五円八十五銭、納税表彰費三十五円
 4項 修繕費 39 000 25 000  
 1目 役場修繕費 39 000 25 000 役場内外倉庫其他小破修繕二十五円
第2款 会議費 185 500 171 100  
 1項 雑費 148 400 148 400  
 1目 実費弁償費 142 000 142 000 居住地一里以上ノ議員五人一日一人一円二十日分金百円、
一里未満ノ議員七人一日一人三十銭二十日分金六円四十銭
 2目 雇人料 400 400 議案配付人夫賃及会議用給仕一人一日四十銭十六人分金六円四十銭
 2項 需要費 37 100 38 100  
 1目 備品費 000 000 諸器具新調及修繕諸品代
 2目 消耗品 20 700 19 700 鉛筆筆紙墨代十三円五十銭、茶四斤代二円八十銭、木炭二十貫代一円四十銭、諸品代二円
第3款 土木費 145 000 85 000  
 1項 道路橋染費 145 000 85 000  
 1目 道路修繕費 20 000 20 000 里道小破修繕費
 2目 橋梁修繕費 000 000 里道橋梁小破修繕費
 3目 道路開鑿費 16 000 60 000 熊石村ヨリ八雲村ニ通スル道路及相沼内村字津花ヨリ
字相沼上ニ通スル新道開鑿路線調査費
第4款 教育費 7、141 650 6、727 710 雲石校教育費 三千五百七十九円十三銭
関内校仝 上 千八十七円五十一銭

泊川校仝 上 六百三十九円四十七銭
相沼校仝 上 千四百二十一円六十銭
 1項 俸給 4、908 000 4、392 000  
 1目 訓導俸給 3、192 000 3、192 000 本科訓導雲石校四人、相沼校一人計五人平均一ヶ月二十九円十二ヶ月分千七百四十円
尋常科訓導雲石校二人、関内校二人、泊川校一人、
相沼校一人、計五人平均一人一ヶ月二十一円、十二ヶ月分金千二百六十円
尋常科専科訓導雲石校一人月俸十六円、十二ヶ月分金百九十二円
 2目 准訓導導給 1、008 000 936 000 尋常科准訓導雲石校二人、関内校一人、泊川校一人、相沼校二人、
計六人平均一人一ヶ月十三円、十二ヶ月分金九百三十六円
 3目 代用教員俸給 708 000 264 000 代用教員雲石校一人月俸拾八円十二ヶ月分金二百十六円、
裁縫担当代用教員泊川校一円一人、関内校三円一人、各十二ヶ月分金四十八円
第2項 雑給 780 270 711 960  
 1目 旅費 235 000 150 000 雲石校教員赴任其他旅費  七十 円
関内校  仝  上    弐拾五円
泊川校  仝  上    弐拾 円
相沼校  仝  上    参拾五円
 2目 雇人料 191 550 208 600 雲石校小使一人日給三十銭一人三百六十五日分金百九円五十銭
春秋二期大掃除人夫六人、煖炉据付掃除取除人夫六人計十二人四円八十銭一人四十銭、
薪運搬挽割人夫九十五人分金四十七円五十銭一人五十銭
  
  計百六十一円八十銭
関内校春秋二期大掃除人夫四人、煖炉据付掃除取除人夫三人、
雪除人夫四人、井戸浚渫人夫三人計十四人分五円六十銭一人四十銭
薪運搬挽割人夫二十四人分金十二円一人五十銭
   計十七円六十銭
泊川校春秋二期大掃除人夫四人、煖炉据付掃除取除人夫三人、雪除人夫四人計十一人分四円四十銭、
薪運搬挽割人夫十四人分金七円一人五十銭

   計十一円四十銭
相沼校春秋二期大掃除人夫四人、煖炉据休掃除取除人夫四人、雪除人夫四人計十二人分金四円八十銭、
薪運搬挽割人夫二十六人分金十三円一人五十銭
    計十七円八十銭
 3目 慰労金 260 000 260 000 学校教員職務勉励慰労金
 4目 教員恩給基金 33 720 33 360 訓導俸給三千百九十二円 年功加俸百四十四円ノ百分ノ一
 5目 手当 36 000 36 000 学校医手当二十四円一人、十二円一人
 6目 教員住宅料 24 000 24 000 雲石校長住宅料一ヶ月二円拾弐ヶ月分
第3項 需用費 1、319 180 1、357 850  
 1目 備品費 364 780 402 000 雲石校 煖炉三個代十五円、煖炉付属品代三十二円、バケツ八個代三円二十銭、ザル三枚代七十五銭、
教科書代三円、ルーラ一本代一円、教育法規加除録代二円、参考書代八円、児童用机腰掛修

繕三十組代二十一円、生徒用踏台四脚代五円二十銭、煖炉用鉄板十二枚代三円、教員製作材料七円、
裁縫板十枚代十円、手洗用活栓ニヶ代一円二十銭、読本掛図代拾七円、オルガン一台修繕二十五円、
諸器具器械新調修繕及諸品代拾円

  計二百十一円三十五銭
関内校 教科書代一円、教育法規加除録代二円、バケツ三個代一円二十銭、煖炉一個及付属品代十二円、
家庭百科辞書代七円五十銭、朝鮮満洲地図代三円、鉄瓶三個代二円七十銭、オルガン一台代四十円
諸器具器械新調修繕及諸品代八円
   計七十七円四十銭
泊川校 煖炉一個修繕代一円五十銭 煖炉付属品代四円六十銭 バケツニ個代八十銭、水入二個代五十銭、
児童用机腰掛十組修繕代七円、時計一個修繕代六十銭、大国旗二枚代二円、洗面器一個代四十銭、
教科書代一円、参考書代四円、椅子一脚代三円八十銭 刷毛一枚代三十銭、教育法規加除録代二円、
裁縫板二枚代二円、諸器具器械新調修繕及諸品代四円
   計三十四円五十銭
相沼校 児童用机腰掛拾組代二十三円五十銭、児童用机腰掛拾組修繕代三円五十銭、小黒板一枚七十五銭、
弁当棚四個代二円八十銭、バケツ五個代二円、水入二個代五十銭、
朱硯三個代三十銭、
煖炉一個新調二個修繕代七円五十銭、煖炉付属品代拾円九十銭、理科器械代十三円、教科書代一円、
参考書代四円、教育法規加除録代二円、樺太全図二円、諸器具器械新調修繕及諸品代五円

   計七十八円七十五銭
 2目 消耗品 756 250 772 200 雲石校 諸用紙代五十円、筆墨鉛筆朱墨代十円、謄写版用印刷及原稿インキ代一円九十銭、箒二十本代五円。
手工材料四円、黒板拭十個代二円、帖綴糸二把代七十銭、草履二十足代一円六十銭、救急薬品代一円五十銭、
繃帯二反代六十銭、草箒代一円、種苗代三円、石油四缶代十円、木炭三百貫代二十一円、
薪材六十棚代二
百三十四円、理科化学薬品代十五円、白墨色白墨代十二円、地図掛用曲捻二十本代二円、
其他諸品代八円
   計三百八十三円三十銭
関内校 薪二十棚代七十八円、木炭五十貫代十円五十銭、石油二缶代五円、箒四本代一円、
白墨色白墨代二円八十銭、黒板拭三個代六十銭、諸用紙代二十円、筆墨鉛筆朱墨代三円、
理科化学薬品及救急薬品代五円、手工材料一円、其他諸品代五円

   計百三十一円九十銭
泊川校 薪十棚代五十円七十銭、木炭百五十貫代十円五十銭、石油二缶代五円、白墨色白墨代一円六十銭、
黒板拭二個代四十銭、
諸用紙代二十円、第四本代一円、手工用材料一伺、救急薬品代一円、其他諸品代五円
   計九十六円二十銭
相沼校 薪材二十五棚代九十七円五十銭、木炭百五十貫代十円五十銭、石油二缶代五円、
箒四十本代一円六十銭、草履二十足代一円六十銭、黒板拭五個代一円、小黒板用ボール紙二十枚代一円、
手工材料二円、諸用紙代二十五円、筆墨鉛筆朱墨代三円、理科化学及救急薬品代五円、
白墨色白墨代二円六十銭、其他諸品代五円
   計百六十円八十銭
 3目 賄費 18 250 18 250 雲石校 宿直賄料三百六十五夜分一夜五銭
 4目 通信運搬費 35 000 35 000 雲石校 通信運搬費  金拾七円
関内校  仝 上   金 五円
泊川校  仝 上   金 六円
相沼校  仝 上   金 七円
 5目 雑費 144 900 130 400 雲石校仮用分教場及敷地借上料十二円、新聞紙代五円八十銭三大節儀式費、出席奨励費、賞与費二十五円
   計四十二円八十五銭
関内校仮用教室借上料一ヶ年分四十八円、新聞紙代五円八十銭
三大節儀式費、出席奨励費、賞与費六円
   計五十九円八十五銭
泊川校 新聞紙代五円八十五銭、三大節儀式費、出席奨励費、賞与費五円
   計十円八十五銭
相沼校 三大節儀式費、出席奨励費、賞与費十一円、新聞紙代五円八十五銭
   計十六円八十五銭
第4項 修繕費 134 400 265 900  
 1目 校舎修繕費 94 400 235 900 雲石校 腰高硝子戸二枚代五円、事務室模様替費二円、見市分教場屋根及土台替、
柱根継及下見板修繕費五十円、畳十丁修繕八円五十銭、其他小破修繕費二十円

   計八十五円五十銭
関内校 校舎及付属建物小破修繕拾五円
泊川校 校舎及付属建物小破修繕
相沼校 教室窓雨返打附費三円六十銭、畳八丁修繕費六円八十銭
便所渡板六枚代四円、片屋根百四十坪葺替代百四円、校舎及付属建物小破修繕拾円
   計百二十八円四十銭
 2目 敷地修繕費 40 000 30 000 雲石校敷地崩潰上取除人夫六十人分三十円一人五十銭
第5款 衛生費 202 500 243 500   
第1項 種痘費 000 000  
 1目 薬品費 000 000 痘苗二百員代一員二村二銭五厘
第2項 伝染病予防費 136 000 177 000  
 1目 薬品及器械費 54 500 90 000 石炭酸三十磅代十八円、生石灰四拾缶代二十四円、消毒衣一着代
三円、小松式蒸気消毒器並製一個代三十五円、諸器具器械新調修繕及諸品代拾円
 2目 予防諸費 000 500 賄料二十五飯代二円五十銭一飯代十銭ツヽ薬価十日分三円一日三十銭
 3目 通信運搬費 10 000 15 000 器具器械及薬品其他運搬費
 4目 雑費 54 500 66 500 雑役及消毒人夫三十五人分弐拾四円五十銭一人七十銭、常置雇二十日分拾弐円一日六十銭、
薪炭其他諸品代十円、トラホーム検診諸費二十円
第3項 隔離病舎費 61 500 61 500  
 1目 雇人料 500 500 隔離病舎掃除及周囲除草人夫十七人分金八円五十銭一人五十銭
 2目 備品費 000 000 諸器器械新調修繕及諸品代二円
 3目 通信運搬費 000 000 通信運搬費
 4目 修繕費 50 000 50 000 隔離病舎及付属建物修繕
第6款 衛生補助費 60 000 60 000  
第1項 衛生補助費 60 000 60 000  
 1目 衛生組合補助 60 000 60 000 第一熊石衛生組合費補助 二十五円
第二相沼衛生組合費補助 拾五円
第三泊川衛生組合費補助 拾 円
第7款 村医費 780 000 780 000  
第1項 俸給 780 000 780 000  
 1目 村医俸給 780 000 780 000 村医俸給一ヶ月三十五円一人、三十円一人各十二ヶ月分
第8款 警備費 313 720 430 450  
第1項 火防費 313 720 430 450  
 1目 消防夫手当 181 500 135 950 熊石村消防組百三十一人出火一回演習二回出場手当百二十円十五銭
(組頭一回四十五銭、部長一回四十銭、小頭一回三十五銭、消防手一回三十銭)

臨時卿筒使用練習出場一回手当小頭二人消防手二十人分金六円七十銭
(小頭一人三十五銭、消防手一人三十銭)傷痍及治療手当九円拾銭
(傷痍手当一日三十銭療治料一日一円)傷痍者一人七日分
 2目 器械費 45 000 192 830 真■製喇叭二個九円、布水桶二十個代十二円、救護班用鞄二個代二円、半鐘二個代五十円、
火の見梯子二台代五十六円、卿筒用橇三台代八円五十五銭、唐鍬四丁代二円、纒二本修繕代二十円、
高張三張修繕代二円七十銭、弓張十六張修繕四円四十八銭、鳶口五丁代二円五十銭、
二丁代二円六十銭、鉤(鎖六尺付)一丁代七円、釣綱(経一寸ロップ)二十尋代八円、
諸器具器械修繕及諸品代六円
 3目 被服費 33 000 14 500 半纒拾枚代十四円五十銭
 4目 器械置場費 000 000 器具器械置場借地料
 5目 消耗費 600 27 550 ?燭五百匁代一円二十銭、木炭七十貫代四円九十銭、救護班備付救急薬品及繃帯其他材料代五円、
卿筒掃除用白絞油及磨粉代壱円二十銭、鞋百五十足代五円二十五銭、演習用其他雑費拾円
 6目 賞与費 13 100 13 100 消防組長賞与金
 7目 雇人料 000 000 ポンプ掃除其他人夫十八人分九円一人五十銭
 8目 賄料 14 520 14 520 消防組長出火出場賄料延三百六十三食分一食金四銭
 9目 通信運搬費 000 15 000 通信運搬費
第9款 勧業費 31 000 31 000  
第1項 勧業費 31 000 31 000  
 1目 勧業費 16 000 16 000 産業上調査及試験ニ要スル諸費
 2目 奨励費 15 000 16 000 従前ノ功労者ニ対スル表彰費拾五円
第10款 補助費 607 000 532 000  
第1項 勧業補助費 561 000 486 000  
 1目 村農会補助 235 000 150 000 熊石村農会費補助金
 2目 水産組合
費補助
195 000 200 000 水産組合費補助金
 3目 産牛馬組合
費補助
16 000 14 000 産畜牛馬組合費補助金
 4目 産業奨励会補助 75 000 75 000 檜山外五郡産業奨励会へ補助金
 5目 地方改良会補助 40 000 47 000 地方改良会補助金四十七円
第2項 教育会補助費 46 000 46 000  
 1目 教育会補助費 46 000 46 000 檜山教育会事業費ノ内へ寄付
第11款 諸税及負担 73 870 66 250  
第1項 諸税 73 130 65 510  
 1目 地租 57 170 57 180 宅地々価金百五十円七十四銭ニ対スル一ヶ年分地租金三円七十八銭、
畑地借金百三十九円九十五銭ニ対スル一ヶ年分地租金四円七十七銭、
山林地価金千三百十五円五十六銭ニ対スル一ヶ年分地粗金四十八円六十三銭
 2目 地租割 14 790 220 宅地租三円七十八銭ニ対スル一ヶ年分地租割金二十銭、其他土地
地租五十三円四十銭ニ対スルーヶ年分地租割金七円二銭
 3目 地方税反別割 170 110 宅地四反八畝九歩ニ対スルーヶ年分金八十一銭
畑六反九畝二十四歩ニ対スルーヶ年分金参拾銭
第2項 負担 740 740  
 1目 借地料 740 740 温泉借地料
第12款 基本財産造成費     20 850  
第1項 基本財産造成費     20 850  
 1目 普通基本財産
蓄積金
    330 使用料及手数料調定二百六十円ニ対スル分二円六十銭
国税地方税交付金百七十三円ニ対スル分一円七十銭、
一般会計歳入歳出決算剰余金二百円ニ対スル分二円
 2目 学校基本財産
蓄積金
    520 小学校授業料調定三百二円ニ対スル分三円二銭
教育費予算残金五十円ニ対スル分五十銭
 3目 墓地及火葬場
修繕積立金
    11 000 墓地火葬場修繕ノ為メ指定積立金
第13款 雑支出 222 100 147 100  
第1項 村費取扱費 15 000 15 000  
 1目 滞納処分費 15 000 15 000 村税其他滞納処分諸費
第2項 村有財産管理表 152 500 77 500  
 1目 村有建物敷地料 500 500 大字相沼内村字館平建物敷地借土料一ヶ年三円五十銭
 2目 村有建物修繕費 104 000 60 000 大字熊石村字岡下建物敷地借上料一ヶ年二円
 3目 登録税 000 000 村有建物其他付属建物修繕及土止修繕費六十円
 4目 村有土地境界
標木費
    10 000 村有財産穫得ニ要スル登録税
 5目 温泉分析費 40 000     村有土地境界用杭及人夫賃
第3項 旅行病死人費用
繰替金
20 000 20 000  
 1目 行旅病死人費用
繰替金
20 000 20 000 行旅病死人費用繰替金
第4項 在郷軍人応召旅費
繰替金
30 000 30 000 在郷軍人演習其他応召旅費繰替金
 1目 在郷軍人応召旅費
繰替金
30 000 30 000  
第5項 選  挙  費 600 600 投票函送致費
 1目 道会議員選挙費     600  
 2目 衆議院議員選挙費 600      
第6項 過年度支出 000 000  
 1目 過年度支出 000 000 雑費
第14款 予備費 143 653 141 840  
第1項 予備費 143 653 141 840  
 1目 予備費 143 653 141 840  
 款 積立金 16 000      
 項 積立金 16 000      
 目 積立金 16 000      
合 計   11、777 143 11、454 450  

臨時部

科目 前年度予算額 本年度予算額 付記
第1款 教育費 1、290 000 570 000  
第1項 新営費 590 000 570 000  
 1目 井戸新営費     20 000 雲石校用井戸一ヶ所設備費
 2目 屋根新営費 590 000 550 000 雲石校屋根一棟百四十坪ニ要スル瓦代四百三十円、
人夫七十人分三十五円、瓦留木代十五円、針金代十二円、
屋根葺賃三十円、其他諸品代二十八円
 項 教員住宅新築費 700 000      
 目 教員住宅新築費 700 000      
第2款 村公債費 337 500      
第1項 公債償還金 337 500 325 000  
 1目 元金 250 000 250 000 教育基金借入第三回返還金
 2目 利子 87 500 75 000 教育基金千五百円借入ニ対スル一ヶ年分利子
第3款 基本財産支消補填金 500 000 500 000  
第1項 基本財産支消補填金 500 000 500 000  
 1目 基本財産支消補填金 500 000 500 000 基本財産支消金ニ対スル第三回積立金
  款 一時借入金利子 50 000      
 項 一時借入金利子 50 000      
  目 一時借入金利子 50 000      
  款 儀式費 130 050      
 項 儀式費 130 050      
  目 御大葬遥拝式費 122 050      
  目 通信運搬費 000      
合計   2、307 550 1、395 000  
総計   14、084 693 12、849 450  

 第2節 凶漁・凶作の連続と村民生活

 明治36年、それまで豊漁で鰊万石場所といわれた熊石村は稀有の凶漁に見舞われた。この凶漁は明治40年まで続き、道南地方に鰊漁業に対する絶望感が特に熊石村民に強く感ぜられた。しかし、その鰊は海流の変化か積丹沖以上の海岸に群来、さらに北上の傾向が強かった。このような状況の中でも村民は鰊漁業に断念することなく、さらに期待を込め着業していた。明治40年道庁統計書によると、

郡別 刺網漁業者 建網業者 就業網数 休業網数
檜山 209 14 5、595 48
爾志 864 104 6、860 50 590 107
久遠 94 45 1、267 48 278 55
奥尻 2、627 2、627
太櫓 69 22 20 49 15
瀬棚 120 256 1、005 29 2、595 31
3、983 256 9、152 150 17、734 261

で、桧山、奥尻、瀬棚の各郡はそのほとんどの鰊漁業を断念しているのに対して、爾志、久遠郡はなお鰊漁業に期待着業していることがこの表で分る。さらにこの年の桧山管内漁業出稼人数は左記のとおりであり、従来は入稼人の受入地であった乙部、熊石両村は例年の100分の1以下の75人よりなく、変わってこの地方からの鰊漁業出稼者が急激に増加していることを物語っている。

郡別 入稼 出稼
檜山   2、487
爾志 75   1、447  
久遠 217   332  
奥尻 343   10  
太櫓 80   47  
瀬棚 480   102  
1、195   4、425  

 明治41年から数年若干の鰊は獲れたが、大正2年以降は全く獲れず幻の魚となってしまった。これによって刺網を主体とした小前の漁業者は鰊場の部方として出稼をし、地場の建網業者はかつての夢が捨てきれず、今年こそはの期待を込め、規模を縮小して着業しているものもある。大正5年度の水産税第一種漁権割賦課資料によってこれをみると

漁業種類 統数 着業者名
着業 休業
鮭定置漁業 山田 友右衛門
鰊定置漁業  同   人
山田 六右衛門
江差 関川 合資会社
  山田 和吉
  稲船 宇一郎
  山田 忠兵衛
  田中 吉蔵
  田口 伊右衛門
鰛定置漁業   田中 吉蔵
鰊定置漁業   山田 喜代治
  赤石 善太郎
  加藤 藤太郎
  中島 宗太郎
  菅野 彦末
赤泊 与吉
  余湖 松太郎
  佐野 四右衛門
荒井 幸作
鰛定置漁業    同   人
鰊定置漁業   代表者 池田 直一
  岸田 作太郎
  岸田 喜代治
  佐野 喜太郎
  土谷 掟太郎
  磯島 又吉 外一名
  佐野 要治
  土谷 掟左衛門
  岸田 専治
  岸田 久四郎
柔魚定置漁業    同  人
鰊定置漁業   輪島 熊太郎
  大塚 忠吉
  土谷 浅太郎
  佐野 甚右衛門
鰔定置漁業    同   人
鰊定置漁業 江差町 永滝 松太郎
  田村 石之亟 外一名
  田村 市太郎
  平井 久作
鱸定置漁業    同  人
阿部 佐吉
山田 茂三郎
能登 甚四郎
高橋 永治
  佐野 テツ
  石平 玉吉
鮭定置漁業   土谷 駒吉
鰛定置漁業    同   人
鮭特別漁業   代表者 桂川 七右衛門
鮭定置漁業   宮前 梅太郎
鮭特別漁業   住吉 成太郎
鱒定置漁業   天満 与作
  宮前 勇太郎
  代表者 磯島 治左衛門
鰛定置漁業   林 房太郎
  荒野 宗三郎
  新保 六太郎
鱸定置漁業   林  宇助
  岩佐 己吉
柔魚定置漁業   田辺 与三吉

で鰊定置漁は69ケ統で、そのうち25ケ統は休止しているという、昔日に比べ正に落日の産業となり、さらには建網の布設はしたが漁獲はなく、そのため借財が嵩み、倒産する業者も多かった。
 この大正5年の凶漁後漁民は鰊漁業に見切りを付け、代替漁業の検討と企業化を図るようになった。鰊の代替として登場してくるのがイカ釣漁業(柔魚・烏賊とも書く)である。イカ釣漁業は幕末頃に渡島管内の知内村で始められ、鯣(するめ)に製造して清国貿易されていたが、漁獲方法がむずかしく、深夜の危険を伴う漁業であったため、熊石では食料としての漁獲はするが製品の販売化は図っていなかった。このイカ釣漁業に着目したのが、関内漁民である。“関内村沿革誌”によれば「明治三十七年ニ及ビ鰊漁不振トナリ爾来漁場ノ廃棄スルモノ年毎ニ多キヲ加工今日ニ及ンテハ当地ニ於テ鰊漁ヲ経営スルモノナシ、然レ共当地方ハ一般漁業ナルヲ以テ夏ヨリ秋ニカケ烏賊漁獲ニ着目シ漁具漁船ノ改良ニ腐心シ今日使用ノ漁船川崎ノ如キハ熊石村部内ニ於テハ当地ヲ以テコレガ使用ノ嚆矢トス。爾来柔魚釣リ川崎船年ヲ逐テ増加シ、今日ニ及ンデハ当地ノミニテ本漁ノ出漁船三十余隻ニ及ブ、烏賊釣り鮫(さめ)刺網、■(魚ヘン・花)(ほっけ)漕引網ノ如キ沖合漁業ハ本村部内ニアリテハ多ク当地ノ沖合ニ於テコレヲ漁獲シ・・・略」とあって、鰊漁業の代替によってイカ釣漁業が川崎船によって始められたことを記録している。
 川崎船とは、従来漁業や回漕に使われた中漕船や図合船、三半船のような和船は、積載力を増やすため幅広に造られていて、速度が鈍い欠点があり、イカ釣漁業は深夜業で、しかも波の荒い外海での作業であるため、船の速度の早さが要求されるので、その要求を満たすため造られ、従来の和船より船幅を狭めて浪切りを良くし、小さい帆桁をもって帆走し、さらには櫓擢(ろかい)で助走するようにした5トンから3トン程度の小型船であった。この川崎船の出現によってイカ釣漁業のような敏捷性を要する前浜漁業が可能になったが、大正時代のイカ釣漁業は未だ試業期であった。
 この川崎船によるイカ釣漁業の状況を見ると、川崎船の一艘の乗り子は10人、それに船頭が梶を取ることになっていて、夕方3時から4時にかけ、乗り子は木箱の弁当に二食分の食事を入れたものに一升瓶に水をいれ、それに合羽、トンボとハネゴ2組、網袋をもって乗船する。当時の合羽はゴムではなく、木綿にボイル油を塗った木綿合羽で、ゴム合羽は昭和7、8年頃からである。風のあるときは帆をかけ、無風の時は櫓擢を漕いで沖合に出る。イカは落日から朝陽の上るまでが釣の時間で落日から夜中にかけて夜イカあるいはナン時イカと言い、午前2時頃から朝までのイカを朝イカと言った。船が目的地に着くとカーパイトランプを灯して集魚と作業用の灯として、両舷に身を乗り出してトンボ又はハネゴで釣り上げた。魚群の厚いときはイカが集魚の灯に引かれて水面下1~2メートルに集ったときハネゴをその位置に入れ上・下、左・右に動かすと凝似餌につられて針につき、その重さでイカがかかったことが分ると釣り上げて外す。水面下にイカが浮んでこないときは鉛の重しのついたトンボを2、30尋(ひろ)下げて動かす。その深さで釣っているとイカが、だんだん浮上して浅い水面に来る。すると今度はハネゴを使うという漁獲方法であった。この乗組員は当初2・8の役、昭和4、5年頃から漁船漁業に変る時期から3・7の役と変った。つまり獲ったイカを干し、水揚の2割、3割を製品化したものを船主に乗り賃として納めた。このイカ釣漁業は一晩に500匹位で中漁、1000匹釣ると大漁で帰港の檣に大漁旗を掲げて来る。家族は皆で浜に出て、このイカを受け取ると、手早く身を開き、内臓、目玉を取って納屋にかけて天然干燥する。2日程して生干になったものを手足をかけて伸ばし、約1週間で製品となり、これを20枚に組み合せて一把として売り出した。

柔魚釣用のカーバイトランプ

 イカ製品は漁業組合も買い上げたが、大正年代には殆ど仲買商人によって買い取られた。これらの商人の多くは米穀、雑貨商を兼ねているので、漁業者の多くは冬期間掛買で借喰いし、イカ製品で返すという青田方式がとられていたので、製品は常に買い叩かれるということで、これを買い取った業者は、水産物検査員の検査によって1等から3等、等外と格付され、20貫の俵詰にされて函館や青森の海産物商に送られた。
 このイカ釣漁業も大正7年には凶漁となり、油鮫漁業、カマブク加工、搾油、メンタイ加工、タラのソボロ化の事業も模索されたが、いずれも回生の道にはつながらなかった。熊石町所蔵の“熊石村沿革概要”の大正7年から10年までの漁業形態、漁業生産物、製産額は次のとおりである。

漁業戸数及人口

年次 戸数 就業者 従属者 人数計
専  業 兼  業
大正7年 490 408 1、188 1、188 1、574 2、675 4、249 5、437
大正8年 498 413 1、204 1、204 1、595 2、687 4、283 5、487
大正9年 648 265 1、278 1、278 1、461 2、759 4、220 5、498
大正10年 656 379 1、416 1、416 1、470 2、785 4、255 5、671


漁業入出稼

年次 道内 道外 海外出稼
入稼 出稼 入稼 出稼 露領樺太 勘察加
大正7年 50 95     20     160   20     803    
大正8年 60           158   21     795    
大正9年 55           141   13     553    
大正10年     226           299       509    
種別 漁夫 漁業者 漁船 漁夫 漁業者 漁船 漁夫 漁業者 漁船 漁夫 漁業者 漁船 漁夫 漁業者 漁船 漁夫 漁業者 漁船


漁網附 釣魚採藻業者数

年次 建網 刺網 漕曳網 曳網 釣魚 採藻昆布
其の他
大正7年 60 6、786   1、238 215
大正8年 52 4、769   26 1、582 303
大正9年 52 4、197   26 1、556 308
大正10年 (統 計 な し)

海産加工物生産高

種目 大正7年 大正8年 大正9年 大正10年
数量 金額 数量 金額 数量 金額 数量 金額
海藻類 漉海苔 13 130 ・00 80 ・00 30 375 ・00 854 375 ・00
元揃昆布 3、191 1、435 ・00 1、000 3、191 ・00 1、000 550 ・00 5、350 3、210 ・00
雑昆布 8、000 800 ・00 300 300 ・00 1、800 360 ・00  
若布 13、060 3、264 ・00 12、000 4、200 ・00 12、500 3、125 ・00 23、880 7、164 ・00
其の他 5、800 2、320 ・00 200 140 ・00 1、000 400 ・00  
粕搾 蒲鉾類 2、500 3、750 ・00 3、000 6、000 ・00 4、800 6、480 ・00  
(魚底 107、496 59、123 ・00 153、560 74、558 ・00 104、800 52、400 ・00 95、350 42、908 ・00
    4、000 2、200 ・00  
(魚花 61、382 36、829 ・00 6、000 3、900 ・00 4、000 2、200 ・00  
1、246 623 ・00 1、400 700 ・00 800 440 ・00  
其の他 165 83 ・00   200 120 ・00   1、810 ・00
王余魚 294 191 ・00 220 143 ・00    
161 107 ・00      
魚油 (魚底)油 1、200 1、200 ・00 1、500 1、275 ・00 5、553 4、442 ・00      
鮫油 1、071 1、071 ・00 800 800 ・00 783 626 ・00      
(魚花)油 54 54 ・00 50 43 ・00 387 271 ・00      
鰮油 ・00   ・00      
其の他     40 28 ・00      
王余魚   ・00        
鱈油 30 30 ・00          
雑類 フノリ   250 500 ・00 500 250 ・00  
角俣         250 50 ・00  
銀杏草         1、000 300 ・00  
その他       350 232 ・00            
合  計   246、862 141、749 ・00 199、026 212、750 ・00 212、750 135、203 ・00      

漁獲物(塩水ノ部)

種別 大正7年 大正8年 大正9年 大正10年
数量 金額 数量 金額 数量 金額 数量 金額
150 180 ・00 90 153 ・00 80 128 ・00 160 208 ・00
500 225 ・00 320 320 ・00 240 204 ・00 1、670 1、169 ・00
10、000 3、000 ・00 1、200 360 ・00 1、300 416 ・00 1、430 429 ・00
4、000 1、200 ・00 1、200 540 ・00 1、280 345 ・00 350 175 ・00
600 240 ・00 850 425 ・00 2、000 1、600 ・00 1、550 310 ・00
柔魚 178、000 106、800 ・00 114、176 148、429 ・00 386、050 154、420 ・00 130、240 65、280 ・00
昆布 14、191 2、696 ・00 14、695 2、204 ・00 14、000 2、100 ・00 28、300 2、264 ・00
50 25 ・00 80 56 ・00 150 45 ・00  
・00 ・00 ・00 15 23 ・00
60 30 ・00 50 25 ・00 60 15 ・00 75 38 ・00
(魚白) 800 320 ・00 870 261 ・00 2、000 300 ・00 800 3、495 ・00
(魚花) 33、600 43、680 ・00 31、300 4、069 ・00 4、500 4、500 ・00 2、330 1、695 ・00
61、800 24、720 ・00 57、700 17、310 ・00 112、500 16、875 ・00 50、250 10、050 ・00
(魚賁) 10 ・00 ・00 ・00  
10 ・00 12 ・00 30 30 ・00  
(魚与) 100 20 ・00 120 22 ・00 100 35 ・00 20 ・00
アブラコ 40 ・00 47 ・00 160 40 ・00 130 33 ・00
100 30 ・00 150 60 ・00
ガヤ 1、000 100 ・00 1、200 96 ・00
ソイ 1、500 450 ・00 1、750 788 ・00 2、500 625 ・00 980 245 ・00
王余魚 3、000 480 ・00 2、800 560 ・00 4、000 400 ・00 1、870 842 ・00
(魚底) 582、400 75、722 ・00 677、840 88、119 ・00 561、000 56、100 ・00 526、800 31、608 ・00
其他魚類 1、000 150 ・00 1、750 175 ・00 3、000 450 ・00 7、630 7、630 ・00
3、500 5、250 ・00 2、700 3、510 ・00 1、200 720 ・00  
其他貝類 100 10 ・00 80 ・00    
目抜魚 200 60 ・00 250 88 ・00 100 30 ・00  
鮪魚 3、000 1、200 ・00 2、800 1、120 ・00 3、500 785 ・00  
海鼠 800 1、760 ・00 850 2、125 ・00 640 1、792 ・00 1、980 3、366 ・00
其他水産動物 400 40 ・00 700 56 ・00    
石花菜 200 120 ・00 270 189 ・00 2、000 400 ・00 970 850 ・00
フノリ 200 260 ・00 300 450 ・00 1、000 300 ・00 8、500 850 ・00
若布 13、060 3、265 ・00 15、300 4、590 ・00 25、000 3、125 ・00 127、500 6、275 ・00
13 ・00
海苔 14 140 ・00 108 ・00 500 500 ・00 2、400 ・00
銀杏草 375 168 ・00 400 200 ・00 2、000 300 ・00 2、500 1、640 ・00
角俣         500 50 ・00 100 ・00
合   計 914、764 272、356 ・00 931、866 276、434 ・00 1、149、403 246、730 ・00 896、050 142、567 ・00

漁獲物  (淡水ノ部)

種別 大正7年 大正8年 大正9年 大正10年
数量 金額 数量 金額 数量 金額 数量 金額
130 156 ・00 150 255 ・00 40 64 ・00 160 208 ・00
75 75 ・00 40 80 ・00 45 90 ・00 50 125 ・00
ヤマベ 100 150 ・00 200 360 ・00 200 360 ・00  
合  計 305 381 ・00 390 695 ・00 285 514 ・00 210 333 ・00

 大正年代は熊石の農業にとって災厄の年代であったが、この災厄によって農業の重要性が認識されつつあった時代でもある。特に大正2年は春から低温が続き、作物の登熟が悪く、8月は暴風雨が相次ぎ、9月は降霜があって農作物の収穫は米に於て平年の20分の1という最悪の大凶作であった。また、翌3年から5年までも平年作を下廻るなど農業打撃は大きく、北海道の諸業は沈滞し、農工商共に活気はなく、さらに当地方は主業の鰊漁業の凶漁による不況は言語に絶した。さらに大正3年に発生した欧州大戦と、この不況が重なって国内物価は高騰の一途を辿り、また、大正5年から6年にかけての不作により米価は日一日と暴騰した。大正6年の例を取ると、内地中等米が1月1升30銭が6月には35銭、7月には40銭、8月には50銭という奔騰で、政府もその対策に為すすべがなく全国的な不況と、食料難、社会不安が継続し、7年8月には全国的な米騒動にまで発展している。このような世相下では公務員、教員等は米価捕給費として俸給の三割が加算されたが、凶漁、凶作にあえぐ当地方の漁民も捕食のため、今まで省りみなかった農業に関心を持つようになり、荒起開墾によって馬鈴薯、ヒエ、アワ、南瓜等の作付をする者が多かった。明治末期の本町畑作面積は凡そ百五十町歩といわれているが、大正14年の統計では六百八十一町三反となっていて、僅か14、5年の間に4倍以上の増加を示しているのは、実はこの大正年代の不凶と物価高に起因するものであった。大正末の14年の“熊石村勢一覧”による当時の農業状況は次のとおりである。

農業作付面積、収量、生産高調

種別 作付反別 収穫高 生産価格
燕麦 26   73 548
豌頭 13   14 158  
       
196 40 17  
桜桃 15        
グズベリー     72 35  
菜種 20   23 345  
大福豆   161  
手亡豆 19   379  
長鶉豆   157  
中長鶉豆   82  
金時豆 38   36 601  
ビルマ 10     155  
蔬菜 584   131、350 23、233  
糯米 113   16 432  
粳米 47   55 1、375  
葡萄 22   41 49  
大豆 942   966 14、345  
小豆 405   418 8、047  
169   202 3、434  
12   20  
16   16 264  
玉蜀黍 157   203 2、436  
蕎麦 369   484 5、663  
馬鈴薯 2613   692、445 69、245  
蔬菜 858   355、697 69、245  
其ノ他 213   234 3、416  
春蚕 127   553 4、296  
 計         171、185  


 第3節 道路の整備と交通機関の変化

 江差から熊石間の陸路交通は、明治22年熊石村の平田内、鮎溜間の海岸崖にトンネルを掘鑿する工事が完成し、また、最大の難関である見市川、相沼内川の本橋架設が完了し、従来の人馬道から車馬の通れる道とした国道が完成した。この完成によって旅行者の人馬継立から脱皮し、江差―熊石間に二頭立の乗合馬車が走るようになった。この馬車は、熊石から乙部、乙部から江差へと乗り継ぐもので、江差まで一日路を要するものではあるが、徒歩、駄馬にゆられての旅行に比べては楽なものであった。さらに大正13年には江差―熊石間の乗合自動車が運行することになり、大桧自動車株式会社が設立され、同年春から24人乗りのフオード乗合自動車が運行された。当初は一日一往復であったが、昭和初めに至って二往復になった。


道議会議員荒井幸作(荒井忠資氏蔵)

 熊石―八雲間の八熊道路の新設については第8章第8節で詳述したとおり、熊石出身の道会議員荒井幸作の尽力によって明治42年着手し、大正10年秋に完成を見た。この道路は八雲駅前から熊石町鮎溜まで延長八里二十町(34キロメートル)で、その峠の最高所は遊楽部岳連山を縦断する標高520メートル地点を通過し、断崖が連続していて難工事を極め完成までに実に12年を要した。この道路は人車馬道として設計されていたため、道路幅は六尺ないし八尺という狭い幅の道路であった。しかし、この道路の完成により、函館・札幌方面への往復旅行には随分利便となった。しかし、この道路は準地方費道で道路構造、路幅も狭く、年々融雪後は泥濘膝を没するという状況で、車馬の通行も難渋するという状況で、村長はその改良を北海道庁に陳情してきたが、なかなか改修工事は実現されなかった。


大正11年八雲一熊石間道路開通式(荒井忠資蔵)

 大正15年7月東武代議士を通じ北海道庁長官に陳願した陳情書によれば、この時代の本町にとって江差―熊石間、八雲―熊石間の道路整備がいかに重要課題であったかを知ることが出来るので、次に掲げる。

 請願書
一、熊石八雲間道路改良工事施行方ノ件
 熊石村ヨリ八雲町ニ通スル道路ハ明治四十二年ニ起工セラレ大正十年ニ完成シ此ノ道路ノ開鑿セラレタルニ依リ久遠郡久遠村以南ノ住民及函館札幌方面ヨリ往復スルモノニ対シテハ大ナル利便ヲ得ルニ至リタルモ現在ノ道路幅ハ六尺乃至七尺ニシテ加フルニ各所ニ急坂多ク車ヲ通スコト不能ナルノミナラス人馬ノ交通ニモ容易ナラサル所多ク本道路ハ久遠村以南江差町迄ノ十八里ノ間ニ於ケル鉄道線路ニ連絡スル道路ハ本線ノミニシテ最モ必要ナル路線ニ有之既ニ自動車及客馬車営業ノ計画ヲナシツヽアルモ前述ノ状態ニシテ道路経済上ニ於テ將タ交通政策上ニ於テ甚タ遺憾ニ堪サル次第ニ有之候ニ付速カニ改良工事ヲ施行セラレタシ
一、熊石江差間道路改良工事施行方ノ件
 熊石村ヨリ江差町迄十二里餘ノ間江差乙部間、乙部村大字蚊柱村ヨリ熊石村ニ至ル間ハ車馬ノ交通稍々容易ナルモ大字蚊柱村ヨリ大字乙部村間三里餘ハ人馬ノ交通スラ容易ナラサルノミナラス危険甚タシク本路線ハ今ヨリ三十四、五年前ニ開鑿セラレタルモノニシテ其後多少ノ改良ヲ施サレタルモ今尚旧態ノ侭ニシテ加ウルニ当地ハ漁業及取引関係上江差、乙部トハ密接ノ関係ヲ有シ常ニ住民ノ往復繁ナルヲ以テ急速改良行事セレレンコトヲ
右謹テ請願候也
 大正十五年七月十三日
 熊石村長 関 琢治郎
 北海道庁長官 中川 健蔵 殿


定期船礼文丸船上における児島医師(中段),佐野局長(3段)(佐野麟太郎氏収蔵原板より)

 また、鉄道の江差線の木古内以西江差までの路線調査が始まるや、黒住代議士の請願による国有鉄道の西海岸計画が、大正15年の衆議院で採択となった。この計画は北海道の日本海側を函館―木古内―江差―熊石―瀬棚―寿都―岩内を経て小樽へ結ぼうとする大計画で、これが実現した場合、日本海側の市町村は大いに開発されることになるので、熊石村民の期待も大きかったが、遂に実現することはなかった。


定期船礼文丸

 明治年代の海上交通についてはすでに述べたが、大正期に入ると道庁補助航路として函館―小樽線が設けられ。その寄港地として福島、福山、江差、熊石、久遠、瀬棚、寿都、岩内となり、小樽藤山汽船所属の北辰丸(750トン)、礼文丸(500トン)、日向丸(350トン)の三艘が就航した。これらの船は4月から10月までは月6回、11月から3月までは月3回であったが、出稼者の出発期や貨物絹輳の時期には増便された。また、函館―瀬棚線も開設され、4月から10月まで月5回、11月から3月まで3回とし、東運丸、近洋丸(トン数不明)が就航した。熊石村には荒井、佐野の二軒の回漕店があり、これらの船が沖掛りすると、艀船(はしけ)が荷物と人を乗せて本船に行き、下船客と荷物を下し、代って熊石からの人と荷物を積んで出帆したが、これに従事する沖仲仕の櫓を漕ぐ掛声は極めて勇壮に響いていた。大正10年頃の函館小樽間定期航海日割の熊石寄港は次のようになっていた。

期間 往航 復航
小樽発 熊石寄港 函館着 函館発 熊石寄港 小樽着
4月 8、25 9、26 10、27
自 5月
至 9月
4、16 5、17 8、19 7、16、
19
、28
8、17、
20
、29
9、18、
21、
30
10月 5、22 6、23 7、24 8、25 9、26 10、27
自11月
至 3月
7、22 9、24 11、26 11、26 13、28 15、30

函館瀬棚間定期航海日割

期 間    
函館発 熊石寄港 瀬棚着 瀬棚発 熊石寄港 函館着
自 4月
至10月
2、7、13、
17、22、27
3、8、13、
18、23、28
3、8、13、
18、23、28
3、8、13、
18、23、28
4、9、14、
19、24、29
5、10、15、
12、25、30
自11月
至 3月
3、10、17
24
4、11、18、
25
4、11、18、
25
4、11、18、
25
5、12、19、
26
6、13、20、
27

また、大正年代の海上輸送の熊石出入船舶状況は、次のとおりである。

出入 入航 出航
定期予定 定期 不定期 定期 不定期 定期 不定期
艘数・トン数 艘数 トン数 艘数 トン数 艘数 トン数 艘数 トン数 艘数 トン数 艘数 トン数
年次 大正 7年 231 6、858 429 49、712 231 68、858 429 49、712 462 137、716 858 99、424
大正 8年 250 73、744 443 51、853 250 73、744 443 51、853 500 147、488 886 103、706
大正 9年 263 79、049 573 75、269 263 79、049 573 75、263 526 16、098 1、146 150、526
大正10年 286 90、930 449 52、247 286 90、903 449 52、247 572 61、806 898 104、494

この海上交通を利用した乗降客は次表のとおりである。

種別 乗客数 降客数
港別 熊石 相沼内 関 内 熊石 相沼内 関 内
年次 大正 7年 930 114 147 1、191 530 118 107 775
大正 8年 762 127 157 1、046 552 116 104 772
大正 9年 1、542 424 97 1、706 1、706 178 48 1、932
大正10年 1、346 563 211 1、631 1、610 162 48 1、820

 第4節 見市・相沼内発電所の着手と送電開始

 文明の灯といわれる電灯が北海道に灯されたのは、明治24年札幌に設置された北海道電灯舎によって札幌市内の一部に灯電され、その文明の灯に住民たちは驚きと科学の進歩の偉大さに只々感嘆した。その灯は道南にも移り、29年には函館電灯所が電灯を供給、39年に渡島水電株式会社が水力発電による供給が始められたが、江差地方から当地方はようやく魚油やローソクの点灯から灯油による石油ランプが、闇の夜を照らす状況であった。
 桧山地方で比較的水力に富む熊石村諸河川を利用して水力発電しようという計画は、大正4年平田内川、関内川の二河川の水を利用して発電しようとする計画が企画され、熊石村に水利権出願の承認について桧山支庁から照会があり12月17日の村会に諮問第1号で諮問したが、村会は公益上支障なしと答申した。しかし、この計画は遂行されなかった。
 その後、大正8年10月の村会に今度は見市川水利使用についての諮問があり、10月3日公益上支障ないと答申された。9年から10年にかけ、函館水電株式会社の下部機関である江差水力電気株式会社が実施設計をし、10年11月着工し、翌11年11月まで1年を経て、見市川上流4キロメートルの発電所は完成した。その工費は30万円、最大出力は240KWで、道南水電株式会社と称し、東は上ノ国村から西久遠村まで送電点灯され、桧山支庁管内にもようやく文化の灯がともった。この成功を基調として相沼内川にも本格的な大規模発電を計画、大正11年11月19日相沼内川水利権使用についての諮問があったが、村会は堰堤築造によって生ずる河川の汎濫、耕地浸水等に十分配慮をするならば支障なしと答申している。
 その結果、昭和3年4月に測量開始、工事は仝年8月に開始し、2年4ケ月の工期を経て、昭和5年12月完成した。この発電所は相沼内川上流5キロメートルの古川岱に堰堤を築き、約三十町歩四方の人工湖を造り、その湖水を利用した発電で、その工費は160万円、最大出力は2000KWで、函館や桧山地域に送電された。


見市発電所

 この工事は函館市の稲葉組(稲葉次郎左衛門)が請負い、工事はその下請会社三社が人夫を集めて行い、その下請会社はタコ部屋と称し、酒色金銭で編(だま)して拘束して連れて来られた人夫が多く、労働者は2~300人に達した。これらの人夫の働くときには棒頭という監視人がいて逃亡や労働を監視し、一か所の飯場で生活するという、いわゆるタコ部屋であった。タコは自分の身を喰うということで、多くの人夫は自分の身を喰っているということで付された名であった。また、これらの労働者は監視の目を逃れて脱走するので、この監視のため相沼内の津花に請願巡査の駐在所が設けられていた。
 また、幹部は相沼内に宿泊したり、夜町へ遊びに来たりするので、小料理屋、うどん屋も出来、地元民もこの工事で潤った。この工事で湖底と化した古川岱付近には、明治43、3年に入植した福島等からの開拓農家が15軒程あったが、これらの人は移転補償金を貰ってダム下流の野の端地区に移り農業を継続した人もあるが、多くは他に転出した。


相沼発電所(現況)

 第5節 変災・衛生

 大正年代といえば凶作、凶漁に明け暮れた年代と見ることができ、村民はどうしたならその苦しい生活から脱却できるかを模索していた年代でもある。大正2年は春から寒冷で雨が降り続き、6月以降は霜雨、9月には豪雨で全国的な凶作であった。熊石村は明治38年以来の鰊凶漁から、少しでも荒起を耕し、米の捕食をしようと、それまで省みなかった開墾に汗を流すようになっていた。しかし、この年の長雨でせっかく植えた馬鈴薯は根腐を起し生産皆無の状況であった。翌3年8月26日には高浪があり漁船の流失、破壊するものが多かった。さらに5年から7年にかけて豪雨があり、さらに7年には、明治末から鰊の代替漁業として始まったイカ釣漁が軌道に乗ったばかりで凶漁になるなど多くの打撃を受けた。しかし、村民は不況克服のため少しでも米食の負担を軽減しようとして畑を耕作し、明治末には百五十町歩であった畑が、大正7年には約4倍の六百町歩に及んでいるのも、実に村民の従来の漁業一辺倒から少しでも農業による家庭経済の多角化を図ろうとする努力の程が見られる。さらに8年にも村内沿岸に大津浪があって多くの被害があった。


村医児島勝郎(浦河町児島岱三氏蔵)

 衛生については、大正年代熊石村に居住した医師は次のとおりである。
 氏名、村医任命年月日、村医退任年月日
 児島 勝郎、明治42年12月1日、昭和21年3月
 竹田 直一、不明、不明
 柳沢 安次郎、不明、大正3年5月31日
 吉川 省三、不明、不明
 野本 正直、大正4年、大正7年7月30日
 五ノ井 与八郎、大正4年、不明
 檜林 惣次郎、大正5年4月1日、大正7年7月25日
 小野 彦三、大正7年10月1日、大正8年11月15日
 真島 完、大正8年2月1日
 吉沢 晁、大正10年11月1日、大正12年4月15日
 須藤 元、大正12年5月20日、大正13年10月31日
 長村 宗三、大正14年4月20日、大正15年8月12日

 これらの医師のうち、特に児島勝郎氏は医師としては熊石村3代の名家である。初代俊庵は水戸の漢法医で幕末から熊石に定着して開業した。2代目俊庵は蘭法医緒方洪庵の高足松山陶庵について蘭法を学び、明治初め熊石に児島病院を開いた。3代目勝郎は明治10年8月29日出生、明治34年4月京都府立医学専門学校に入学、同38年7月同校卒業、9月医師免許証を交付され、4年間医術修業の後、明治42年熊石村に帰り開業後、昭和21年3月退職するまで、実に38年にわたって熊石村の医療、衛生に尽力した。また、相沼内、泊川地区を担当した真島完(たもつ)も大正8年から昭和2年まで8年間、地域医療に尽力をしたが、他の村医は在任1~2年である。
 大正年代には多くの伝染病が発生した。大正2年には相沼内村を中心に7月赤痢が発生し、多くの死亡者を出し、また、7年にはスパニッシュ・インフルエンザが流行した。8年桧山各地に感冒が大流行し、熊石でも多くの死亡者を出し、5月には熊石村内の各学校は休校となっている。
 この時代の人口、戸数、人口、衛生の動態を見ると次のとおりである。

戸口の増減 (各年度末現在)

年次 現在戸数 本籍   留者寄 入寄留者 出寄留者 現在人口
大正 7年 1、023 3、255 3、005 6、262     497     1、377     6、756
大正 8年 1、002 3、169 2、949 6、118     492     1、654     6、610
大正 9年 1、001 3、153 2、943 6、096     517     1、807     6、613
大正10年 1、005 3、121 2、959 6、080     410     1、718     6、490

 これによって見ると入寄留者に対して、出寄留者が3倍にも達していて、この年代にはすでに多くの出稼者がいて、その稼動によって生活している者が多かったことを示している。

結婚及び離婚

年次 配偶者数 結婚・離婚
結婚数 現在人口千分比 離婚数 現在人口千分比
大正 7年 1、098 96 14・23 6  0・8
大正 8年 980 72 10・89 4  0・6
大正 9年 1、021 78 11・79 2  0・3
大正10年 1、104 88 13・56 5  0・8

出生

年次 合計 現在人口ニ
対スル千分率
嫡出子 庶 子 私生子 嫡出子 庶 子 私生子
大正 7年 123 19 19 161 97 18 26 141 302 44・67
大正 8年 109 14 18 141 115 12 21 148 289 43・72
大正 9年 135 32 16 183 114 18 29 161 344 52・02
大正10年 132 20 22 167 119 25 16 160 327 50・38

死亡及び死産

年次 死亡 死産
千分率 千分率
大正 7年 70 57 127 19・77 8  4  12 1・77 
大正 8年 58 59 114 17・24 7  4  11 1・66 
大正 9年 103 95 198 29・94 6  7  13 1・96 
大正10年 73 62 135 19・87 5  6  11 1・69 

死亡者病類別統計

病類別 大正7年 大正8年 大正9年
腸窒扶斯
発疹窒扶斯
麻疹
百日咳
実扶的亜
流行性感冒 16 12 28
肺結核 11
結核性脳膜炎
腸結核
其他、臓器結核
縷麻質性疾患
脚気
糖尿病
其他全身病 12
脳膜炎 10 19 15
脳出血、脳軟化神経系疾患 10
心臓器質的疾患 11
血行器疾患
急性気管支炎
慢性気管支炎
肺炎及気管支炎 10 16
呼吸器疾患 12
胃腸疾患 12 16 14 22
其の他消化器疾患 11 15
腹膜炎
泌尿器、生殖器疾患
産ニ関スル疾患
皮膚及運動器疾患
其の他 11 15
合計 70 57 127 58 56 114 103 95 198

伝染病状況

年次 大正7年 大正8年 大正9年 大正10年
病名 発生 治癒 死亡 発生 治癒 死亡 発生 治癒 死亡 発生 治癒 死亡
赤痢
痘瘡
腸窒夫斯 25 22 15 15 11 11
実扶的里亜 14 11 14 11
ハラチフス

 これらの統計のうちで、1年平均の死亡人員は熊石村は1か年120人内外であるが、大正9年は死亡者が70人も多くなっているが、これは前年来の流行性感冒が再発し、9年にいたって、感冒死者28名、感冒に伴う脳膜炎死者19名、肺炎死亡者16名と関連病名で死亡している結果である。また、伝染病統計で見る如く、法定伝染病では大正7年から8年にかけては腸チフス、9年から10年にかけてはジフテリアの大量発生していたことが分る。また、これらの病気死亡を除いては、胃腸疾患の死亡者が一番多く、次ぎに呼吸器病で、次で心臓病の順になっている。

生活・習俗
 大正末期より昭和初期、漁村自立更生運動の盛り上りのなかで、相沼青年団男女が、おのおの課題を設けて調査し、その結果を発表して、旧弊の打破と生活の改善に努力しようとした調査書が残されている。この調査書は実によくこの時代の生活・習俗を伝えるものであるので、次に掲げる。
服装 根上コウ
(1) 一般村民の収入と生活状態
 当村は海岸であるので一村の殆どは漁業家であり、又半農家でもある。其の訳は本村は北海道でも有名な助宗の産地である。助宗の漁獲時は秋11月頃から翌年の春3月迄で、その間は手を動かし得る者でさえあれば、小供・年寄を問はず一家の者が総出で、助宗釣の仕事にあたるのであって此の仕事の中は1年中で一番多忙な時である。余分な家財道具類を買入れるのも生活程度に比べて華美と思われる衣服などを買い求めるのもこの時期である。助宗の漁獲期がすぎると男は鰊場へ出稼か、或は遠洋漁業に従事するなどで、其の留守中、春から秋にかけて居残る女は一家の者が1年中食べ得るだけの農作物を収穫するのである。出稼に出かける男子は夏烏賊釣に依り、又多大の収入を得るのである。以上の状態で、村民の財政が他村に比して幾分豊かである。
(2) 男子の服装
 村人の服装は最近贅沢になって来た。平常青年は大抵洋服であるが、和服を着る者でも錦の着物よりガスの着物を着る者が多い。働く時の様な紺木綿を綿糸で細く縫って作ったちゞれと言ふ着物を着る者がなく誰もが労働服には洋服を用へる様になった。


熊石村の紳士達(佐野麟太郎原板より)

(3) 女子の服装
 女子は平常には木綿着物にメリンスの帯と言ふ程度の処である。女子の労働服は未だ昔からのちゞれを着ている点、男子より後れている。男の相手になって働く当村の女子にも方々の地方で叫ばれて居る労働服の改良が必要ではないかと思われる。然も若い女の人はきちんとちぢれを着、赤い脚絆を付け前掛姿で働く様は漁村ならでは味われぬものである。女子の誇る者は矢張り着物らしい。お正月に或はお寺の行事に当る公休日(ママ)には誰も華美な服装をして出歩くので有る。
(4) 児童の服装
 児童の服装は男子は冬はコールテン製の服或はラシャ、サージなどの服を着る者もあるが半数以上は着物を着ている。夏は大方夏洋服を着て居るが、学校の式には矢張り和服に袴と言ふいでたちである。女性の服装は近頃目立ってはでになってきた。皆が競って

熊石村の淑女たち(佐野麟太郎原板より)

小供の着物に贅をつくして居る。平常は木綿或はメリンスを用へて居るが、学校の式日又は学芸会などにはメリンス、銘仙、チリメンなど洗練された都会風のいでたちには驚く程である。女子で洋服を着て居る者は未だほんの5、6名しかないが、夏になり遠足や運動会などには洋服姿も半数も見えるが、まだまだ男子の比ではない。女子の服装改良こそ是非必要な様に思われる。

小学校女学童風俗(佐野麟太郎原板より)

食物 奥崎蔵吉
(1) 種類
 (a)主食とするもの……米、馬鈴薯、きび、そば。
 (b)○副食物……○蔬菜類―大根、かぶ、大菜、葱、ごほう、きうり、茄、夕顔、南瓜、甘藍。
 ○野生の食草―わらび、蕗、わさび、竹の子、みつば、せり、其の他。
 ○調味料品―食塩、味噌、醤油、ソース。
 ○魚類―鯳、鰯、蛸、かれい、そひ、其の他。
 ○肉類―豚肉(冬期)、鶏肉、熊肉(稀に)。
(2) 食事回数
  普通三回、柔魚漁、鰯漁、鯳漁の如き過激なる労働の際は四回乃至5回とす(以上出漁者に限る)。
(3) 季節と食物
 (a)春季に於ける食物―かれい、■(魚へんに花)、鱈、やり柔魚、海苔類、野生の食草、若芽。
 (b)夏季に於ける食物―磯ざかな、蔬菜類、海藻類。
 (c)秋季に於ける食物―川鱒、鮭、柔魚、豚、柿、林檎、葡萄、梨。
 (d)冬季に於ける食物―鯳、蛸、ゴッコ、豚、蜜柑、林檎。
(4) 職業別と食物
 当村の職業別、(一)漁業は大多数、(二)商業約三十戸、(三)農業約十戸、(四)宿屋五戸、(五)理髪業四戸、(六)寺院三、(七)鍛冶屋四戸、(八)官公吏十一戸。
 農家は米食の外、小豆、きび、そば等を食す。その他の多くは米食を主とすれども晝は多く馬鈴薯なり。
(5) 食料品の自給購入の状況
 農家は米を除くの外は大部分は自給自足、然れども近時水田を経営する者現はれたれば、近き将来は全部自給自足の者出づることと思はる。副食物の如きは全部自給自足の如き状態なり。
(6) 飲酒喫煙の程度
 当村に販売さるる飲酒類は主として、●焼酎(罎詰はかり)●葡萄酒(仝上)●和酒(仝上)。
 当村に販売される煙草類は主として●巻煙草…バット、朝日、敷島。●刻煙草…撫子、はぎ、あやめ、さつき。
 当村に消費せらるる酒類、煙草類は詳に知るを得ざれども右品の販売店売上よりして大体左の如し
 一年間の消費額…酒類約二万円位、煙草約六千円位。

家屋 釜萢件三
 左の地理的要件に支配せらる。
 ※汀線に沿ふ崖下に連なる純漁村なり。※各期間季節風の影響を受くる事大なり。
(1) 防寒防風雪並に採光
(a)防風雪防寒の設備○汀線に沼(ママ)~帯状の地積なれば海面側に防風林(積極的)其の他の設備をなす事難し。
 ○南西に面し背後の崖を負へるが故に東北風に対する防備の要なし。
 (イ)夏期 南西海上より襲来する夏期間の颶風は渡島山脈に遮られ、海上を北進するを以て被害恐るるに足らず、設備の要なし。
 (ロ)冬期 季節風…北西風…あひ風―は寒さと降雪を伴う。
 ○家屋の位置―崖下○家屋の構造―平屋造なる事。北西に面する窓を少なからしむる事。○葦等を以って囲を造る事(土産なる故)。○煖炉。
 (ハ)気象警報 村にて函館測候所と予約をなす。
 ○気象告知板―津花、館平、泊川。○暴風警報器―館平。
(b)採光、村民の知識進歩に随ひて採光の点も重要視せられるに到る。採光は防寒と容易に並行し得ざるもの、防寒を主とすれば採光全からず、採光を主とすれば防寒に欠陥を生じ易し。
 (イ)板戸、障子を廃し硝子戸を採用する…採光法。
 (ロ)焚火を廃しストーブを採用せり。随って空窓を閉鎖せり…防寒法(薪材豊富なるが故)。
 空窓の効用―煙出し、採光、通風換気。ストーブの効用―防寒、衛生(換気に注意)、使用軽便。
(2) 類型的住居
(a)家屋の位置方角
 (イ)崖下に位置す。●渚辺を拡め倉庫、番屋、乾場、作業場を設ける。●衛生上宜し、作業場の汚穢悪臭より遠ざかる。●防風防寒。
 (ロ)海に面す。●体裁。●海辺の管理に都合よし。
 ※備考 山に面せる家、沢町の家は(1)鰊漁不振後に建てたるもの。(2)海辺広きにすぎ一個人にて使用に耐えざる場合。


熊石の家々(昭和初期・佐野麟太郎原板より)

(b)家屋の構造
 (イ)外面●一棟建…新開地なれば分家を多く出し(一族の多からんが為)、家族少なき為。
 ●横向き…帯状の地なれば海辺地積を有効に用へんためなり。
 ●平家造り…防風防寒。
 ●板張り造り…壁は用いず板張とす。{工事簡便・耐久 風雪強ければバラック式の家屋ありて然り。
 ●便所…外便所とす。屋外労働を主とする故。
 (ロ)屋内●玄関に部屋なし―生活様式上かかる体裁めきたる室の必要なし。
 ●茶の間…×矩形の炉あり玄関に対し短辺が平行をなす。主人の座席なり。×畳、呉蓙をしける部分は接客用。×広き板敷の部分は作業用{1、茶の間に続くもの。2、玄関に依り茶の間と相対知るもの(下台所)。
 ●竃なく炊事は炉又はストーブにてなす。
 ●寝室―奥まれる室を一定しあり。
 ●採光(防風雪防寒の項を見よ)。
 ●通風換気―夏期は玄関の障子を取外す。冬期は寒気を恐れ空障きすら充填す。
(3) 建築費
  其の生業より来る簡易生活と頻繁なる分家とによりて家屋建築費も高価を選ばず、材料は殆ど松柏材、最高坪三十五円、最低坪二十三円、平均坪二十七、八円、総額に於いて五、六百円どころ最も多しと言よ(江差岩田商店山崎氏談)。
(4) 共同作業場の有無
 現在一つも無し。柔魚共同乾燥位はありて然るべき筈、村民競争心強く共同心乏しきに依るものならん。
5、労働状態 山田
 当村ハ東西約五里南北三里ニシテ熊石、泊川、相沼内ノ大字沿岸ニ連々トシテ連リ一大村落ヲナシテヰル関係上、村ノ経済ハ殆ト水産ニヨリテ維時サレ、本業ノ豊凶ニ左右サレツヽ在ル最モ重要な事業ナリ、昭和五年度ニ於ケル現在年産額ハ八十万三千六百円ニシテソノ中七十万九千円ハ水産ニヨレル産額ナリ。然シテ農業ニ従事スルモノアリト雖モソレハ生活ノ一端ヲ補填スルニ過ギズ、殊ニ漁獲ノ如何ニヨリテ農事ヲ省シテ暇ナキニ至ルアリ、故ニソノ労働状態ハ漁期漁期ニヨリテ同一ナラズ、尚同一漁期内ニアリテモ漁獲、天候ノ如何ニ左右サレ農村ニ於ケルガ如キ秩序的労働ニ非ズシテ頗ル不規則的労働ヲ営ミツヽアリ、然シテ当村ニ於ケル漁期ヲ大別スレバ左ノ如シ。
I 鯳(すけそう)漁期ニ於ケル労働状態
イ、期間 自十二月一日 至三月三十一日
  明太(みんたい)ハ当村重要製品ニシテ漁民生活ノ資力ハ殆ド之ヲ以テ占メラレツヽアリ、重要ナル事業ニシテ逐年優良品ヲ製造シ、斯業ノ発達認メラレツヽアリ、然シテ過去ニ於ケル漁期ハ着業者少キタメ制限ヲ受ケサレ共逐年増加シ、現今ニ至リテハ他管内ヨリノ従事者ヲ見、競走激甚ヲ極メツヽアリ然シテカヽル状態ヲ黙視スレバ漁族減少シ収支相ツグナハザルノ現象ヲ生ズ。自然部落民生活上ノ恐威ヲ受ケル故桧山水産会ニテハ漁族保護ト濫獲ヲ防グタメ漁期ヲ制限セリ。
 漁獲高
 明太 一三七、三〇〇貫 七五、五〇〇円
 鯳子 六八、六六五貫 八五、八〇〇円
ロ、労働時間 自午前三時 至午後九時 平均男十五時間、女十時間以上。午前三―四時出漁準備 出漁以外ノ男女ヲモ含ム。午前五時出漁。午前六時―午後○時 漁獲物製造(主トシテ明太)出漁以外ノ男女。
午後四時帰帆 女子ハ漁獲物ノ手入、家内一同之ニ当ル。
 一年中ニシテ最モ厳寒ニシテ天候険悪ノ時期ナレバ其労働ニ至リテモ幾多ノ困難之ニ伴へ、男女ノ区別ヲ問ハズ、夜半ヨリ夜半ニ至ルモ孜々トシテ仕事ニ従事シ天候ノ如何ニヨリ出漁不能ノ場合ト雖モ更ニ漁獲物ノ製造等ニ追ハルヽ状態ナリ。然シナガラ出漁不能期間長延ク場合ハ仕事ニ追ハルヽノ慮ナク、一般閑散ニシテ娯楽ニ耽リ疲労回復ヲ計リ、軈テ出漁準備ヲ調フ。
ハ、朝労働 普通四時頃起床直チニ出漁準備ヲナス。出船時間ニ制限ナキ故盛漁期ノ然モ天候良好ナル場合ハ午前二時頃ヨリ起床シテ仕事ニ従事ス。過激ナル労ニ非ズシテ女子供ニモ適セル仕事ナリ。
ニ、夜業 此漁期ニハ漁ノ如何ニカヽワラズ必ズイクラカノ夜業ヲナス。労働時間表ニモ示セル如ク夜業ハ漁ノ整理ナレバ過度ナ仕事ニ非ズ。出漁者以外ノ者主トシテ之ニ当ル。
ホ、晝寝 期節ノ関係上晝寝スル者ナシ。
Ⅱ 雜漁期ニ於ケル労働状態 期間 自四月 至七月
イ、此期間ハ男子ノ大部分樺太鰊漁業或ハカムチャッカ等ノ漁場へ出稼ヲシ残リノ小数ノ男子ハ次ニ示メセル魚類ノ漁獲ニ従事ス。
 ヤリ柔魚 鱒 鱈 大羽鰯 白魚 海草類
 此漁期ハ漁ニ従事スル以外ノ者ニトリテハ一年中ヲ通シテ最モ閑散ナル時期ナリ、尚女子ハ農業ニ従事スレ共、生活ノ一端 ヲ補填スルニ止マリ、農村ニ於ケルガ如キモノニ非ズ、野菜類、大豆、馬鈴薯等ノ蒔付ニ着手ス。
ロ、労働時間 漁獲物ノ類ニヨリ其労働時間モ一定ナラズ。然シ平均一日約九時間ノモノニシテ鯳漁期ニ比較シテ一般ニ労働モ過激ナラズ。


磯舟による鮑突(昭和初期)

ハ、夜業 鱒、ヤリ柔魚、大羽鰯等ノ漁ニ至リテハ夜投網スル故、晝ノ時間ヨリ長シ。
ニ、農業期ニ於ケル女子ノ労働状態
 農業ハ生活ノ一端ヲ補填スルニ止マルヲ以テ作物ノ栽培ニ至リテモ古キ経験ヲ有スルニ不拘奨励ノ跡ヲ見ルコト能ズ、現在耕地面積四百二十町歩其生産価格六万七千七百円一反平均僅二十六円ニ過ギズ、他農村収穫量ニ比シ微々タルモノニシテ耕作技術ノ幼稚ト諸設備ノ不備等其原因ヲナセリ、斯様ナ状態ナレバ、ソノ労働モ農村ノソレニ比シ頗ル楽ニシテ過激ニ渉ルコトナシ、只高地ニ耕地ヲ有スルモノノミ肥料ノ運搬等ニ困難ヲ感ヅルノ程度ナリ、労働時間前八時 後四時頃。
Ⅲ 烏賊漁期ニ於ケル労働状態
 鯳ト並ビテ本村ノ重要製品ニシテ本漁ノ如何ニヨリ直接村民ノ経済状態ニ影響ス、此漁期ハ季節的ニ恵マレシトキナレバ鯳漁期及雑魚期等ニ於ケル労働ニ比シ、最モ労少ク漁期ヲ通シテ比較的閑散ナリ、然シナガラソノ漁獲高ニ至ツテハ他ノ漁期ニ於ケル実収入ニ対シテ何等ノ遜色ナシ。 期間 八月―十一月
労働時間 午後三時出漁 午前五時帰帆仝五時―七時漁獲物製造、午前八時―午後二時睡眠時間 二時―四時準備時間。最近ニ於ケル生産高
 六八五、二五二貫 価格一六三、七七五円
朝労働 朝五時頃漁ノ如何ニカヽワラズ一勢ニ帰帆ス、然シテ老幼男女一家総出ニテ漁獲物ノ製造ニ着手シ、終リテ後朝食ニ付クヲ習慣トス。
夜業 男子ノ十一、二歳頃ヨリ柔魚釣リニ従事スルヲ以テ漁獲物ノ手入等ハ主トシテ家庭内ニ残レル女子之ニ当ル。尚漁獲物ノ少キ時ハ、漁ニ従事スル男子ハ晝ノ内ニ漁獲物ノ手入ヲ行フ、女子ハ夜針仕事ナドヲ行フヲ普通トス。
晝寝 夜間ノ業ナレバ漁ニ従事スル者ハ漁ノ如何ヲ問ワズ必ズ晝寝ヲ必要トス。ソノ時間ハ漁ノ多少ニヨリテ相違アレド普通二時間以上トス。
婦人幼児ノ作業 漁業ヲ主要産業トスル当村ニ於テハ、産業上婦人幼児ノ作業ハ又頗ル重要ナル役目ヲナス、鯳漁期ニ於ケル婦人幼児ノ漁獲物ノ手入、出漁ノ準備、後始末等柔魚漁期ニ於ケル幼児ノ従業及鰮漁期ニ於ケル漁獲物ノ運搬等甚タ多シ。此等ノ漁期ニ至レバ高等科男女児童ノ過半数ハ欠席シ、前記ノ作業ニ従事スル故、常ニ出席歩合ハ五、六十前後ナリ、之ニ依テ見テモ如何ニ当部落ハ産業ニ幼児ノ作業ガ重要ナ役割ヲナスカヲ想像スルコトが出来ル。
漁具利用ノ程度 従来主トシテ沿岸漁業ニ従事シツヽアリシガ時勢ノ要求ニ伴ヒ漸次遠ク沖合ニ進出シ、漁業ニ従事スルノ益ノ切ナルモノアリ。之等沖合漁業ニ進出セントセバ先ズ漁船、漁具ノ改良ヲナサヾルヲベカラズ。然シテ当村民ハ一勢ニコノ沖合漁業ニ着目シ動力船ノ購入或ハ川崎船ノ動力化ニ力ヲ住ギ沖合漁業ノ開拓”目的ヲ達セントシツヽアリ。尚又従来使用セラレツヽ在旧式漁具ニ対シテハ漸次改良ヲ加へ巾着網等ノ使用ヲ奨励シツツアリ。以上。
7、娯楽 田中末勝
(1) 公休日
 特に公休日として村民一般に休むと定まった日はない。住民の大部分が漁業を家業としているため、元旦と雖も平隠な日であったならば出漁する。又何時でも時化の日であれば休日であり、この日が村民挙っての休養の日である。でこの時化の日を公休日とも言い様だが定まって村民が一般に休養する公休日のないことは前述の通りであるが、間々祭典などに於て「沖どめ」と称して村民全般が出漁しないこともあるが、これもその日には必ず沖どめをすると定まったものではない。要するに当村には定まった公休日がないと言う事になる。
(2) 娯楽
(a)娯楽の種類 私は娯楽といふものを次の二様に分けるとよいと考えて居る。
 ○自己の活動に依りて得る娯楽
 ○他の活動を視聴に訴へて得る娯楽厳密に言ひば二の場合も自己の活動に違いないが、一の場合が能動的であるに反して二の場合は受動的である点に於て区別される。
(b)自己の活動に依りて得る娯楽
 ◎かるた取り これは正月に於て行われる全国共通の娯楽である。当地に於てもこれが稍盛んに行われるが特にかるた会と称する様なものが開かれるのではなしに、只付近の青年が集って行はれるものである。
 ◎野球 当村は総ての運動に対して随分熱心であり、又理解もある。即ちファンが多く居ると言える。小学校の野球部の後援会がある事によっても、村民の程度がうかがわれ、随分興味を持たれて居ると言ふ事がいえる。春から秋にかけての青年の唯一のスポーツであり、娯楽である事は言を待たない事実である。その相互間又は他の団体との試合には多数の観衆を見る事が出来る。即ち野球は只に青年のスポーツであり、娯楽であるのみならず、それを見る村民の娯楽の一つとも言へよう。

かるた取り(大江靖明氏所蔵)

 ◎盆踊り これも吾が国のお盆に行はれる一般的行事であり娯楽である。当地に於てもこれが盛んに行はれる。踊り手は大部分青年である。その歌が卑俗的であり風紀上余り香しくないと言ふ一般的の通弊は当地に於てもまぬかれない様である。
 ◎碁、将棋 この趣味は有識階級の者の間には随分深いものがある。就中碁の方は相当普及されている。時々囲碁会などが開かれてこれが普及を計っているが囲碁倶楽部と言った様な組織は設けられていない。
 以上述べた外家庭的な娯楽は余りない様である。
(c)他の活動を視聴に訴へて得る娯楽
(イ)興行物 興行物中最も多く又最人気のあるのは映画である。次に芝居である。其他種々雑多な興行物もあるが、その回数から言っても、その人気から言っても前二者に遠く及ばない。又ダンス其の他の洋式な興行は殆んど皆無と言ってもよい位である。劇場は最近迄はなく比較的広座敷、倉庫等に於て開かれたものであるが、昭和6年9月株式組織の劇場が設けられて不完全乍ら村民の娯楽機関が設けられた由である。
○興行物に対する批判理解の程度
 映画に関しては次項に於て述べるから、その重複を避けて先ず芝居であるが、余り立派なものが来ない関係上目が肥えて居るとは言ひない、が同じ下手の役者でも上手、下手位は見分ける事が出来る。先ずその劇中の人となって喜怒哀楽の情を起し、その気分にひたる事に依って満足すると言ふ、言わば劇場の偶像と言った様なものである。また芝居もその目的はそれであり、観客もそれを求めて見に行くのである。
 次に音楽であるが、当地では和楽に対する批判理解の程度は上の方であろう。就中追分の本場丈に端歌、長歌に対する趣味は最も向上して居り、これに伴って三味の方面にも趣味が深い。その和楽に対して相当の理解はあるが、前者程ではない。和楽に対しては前述の如くであるが、洋楽に対する趣味は皆無と言ってよいだろう。蓄音機なども相当あるが、洋楽の立派なレコードはきく事がない。ラジオも当地に於ては極く少数であるが、勿論高価なものでなければ聴取できないのであるから無理からぬ事である。この点文明の恩恵を受ける事の出来ない不幸な所と言いる。
(ロ)映画の青年に与える影響
 前述の芝居同様にそれを演ずる俳優の上手下手は余り問題とされない。その批判の的となるものはその物語りである。又説明者の優劣もその批判の対照の一つである。その影響と言っても善悪何れの点に於ても大したものはあるまい。思想上に於ても余り露骨なものは来ないし、又暗黙の中にそれを含んだものも有るが、そんな思想に共鳴すると言った事は全然認められない。只影響としては都会の華美な服装等が青年の心を引くと言った位のものである。好影響の点に於ても悪影響の如く余り効果がない様である。普通興行映画が社会に好影響を及ばすと言う事は、今の所当地のみではなしに何処でも望まれない事であろう。当地に於てはその悪影響の少ないと言う点丈でも他に比して幸な事ではあるまいかと思う。

熊石劇場

(3) 祭典の行事
(一)祭典 年一度(九月二十四日、二十五日)で相沼内村八幡神社祭典である。
(二)行事 お祭の行事と言っても只村内を御輿を引廻はされる丈の事である。その行列の順序は山車―奴―御輿である。
 ●山車 各字からそれぞれ意匠をこらした山車が出る。それを様々な服装をした子供乃至は青年達が掛声も勇ましく村内を引き廻す、それが、青年の非常な楽みであり、その綱の間で踊る事も青年達の楽みである。又この子供達を見て親達がたのしむ。何と言っても祭典の最も楽しみとなるものは、この山車である。
 ●奴 次に奴であるが、これも見て楽む一つのものである。この奴でどこか古代の行列に見える、勿論私が今迄見た事がなかったからであろう。
 ●御輿 次に御輿であるが、これは行列の中心となるものであって、自ら他の二者とその趣を異にする。この御輿戸毎々々に止り各家からの供物を受ける。
 以上述べたのが当地に於けるお祭の行事のすべてであるが、村民がすべて神社に参拝すると言ふ事は何処に於ても変らないが、その他宮角力の様な催しは全然ない。何か物足らない様な感じもする。


熊石の山車巡行

(4) 村民の共同飲食
 村民全部の共同飲食は見られないが、種々な団体に於ては見られる。先ず当地には種々の「講」と称するものがあるが、その講の加入者がその中の誰かの家を宿として、月一回位づつの共同飲食が行はれる。又青年団の総会、同窓会の総会などに於ての会食も、この中の一ツに数へる事が出来よう。
(5) 総括
 公休日の項にも述べた如く当地に於ては、平隠な日であれば何時でも出漁して、公休日と言ふものは無い。随って定った慰安さるる日、娯楽の日と言ふものは無い訳である。又休む日は時化である。この日は休むであろうが、これを精神的の方面から言えば出漁する日にも増して不安と煩悶があるのではあるまいかと思う。だから真の慰安と娯楽のあるのは休日よりも休まざる日にあるのではあるまいか。彼等が一日の労働を終って一杯に乾かされた自己の収獲物を見た時に、何者にも勝る慰安が与へらるるものではなかろうか。前述の種々の娯楽機関はこの緊張しつづけた彼等の心を慰むると言ふよりも心に休養を与へると言ふに止まるべきものであらうと思う。


祭の若衆姿(大江靖明氏所蔵)


子供の祭盛装(佐野麟太郎原板より)

8、結婚の風習 館義薀
(1) 結婚年齢
 男子は二十四、五歳より二十六、七歳を普通とす。要は徴兵検査を終りたる後、配遇者を求め、徴兵検査以前に妻帯するもの殆んど無きが如し。女子は十八、九歳より二十二、三歳迄を普通とするも、時に稍早きものか、或は稍遅るゝものあるも、一家の種々の事情に依るものにして、二十六、七歳は婚期を失せるものとして初婚を望み得ざる風習あり。
(2) 結婚の時期
 一般に冬期間に行う者多く、毎年十一月頃より二月頃に行う者多く、即ち新旧正月の前後に行う。農家は冬の農閑期を利用し、漁家は事業開始前に一家の女手を顧慮し、結婚すべき男子ある場合は嫁を求め、然らざる場合は雇人を求むるものとせり。
(3) 男子を養子に迎うる場合
 即ち婿として他家に入る場合は、男子方に於ては一家の働き手を失う事となる故、相当家の収入に関する故に、入婚後二年乃至三年間「手伝ひ」と称して男子方の家にて働き、其期限後離籍するの契約をするものあり。男子のみ手伝う場合と、妻たるものも漁期間来りて夫婦して手伝うものあり。
(4) 嫁として迎うる場合
 嫁として迎うる場合は結納金として金壱百円以下、男子の場合は弐百円内外を普通とする。始より仲介人に対して金額を申込むものあるも、多くは其家の格に応じて行うものにして、一切を媒妁人に一任する。
(5) 結婚の順序
内聴…つてを求めて内密に嫁に出す人たるや否や、血統、本人の容貌、性格、健康、裁縫の出来るや否や等を調べ、更に両親兄弟の性格を調べる。
結婚申込み…第二段として相当人選の上先方へ結婚の申込を行ふ。其の間に於て申込まれたる方にても、種々入婚先について取調べ、一家協議の上、諾否を決して回答する。
結納。結婚式の決定。結婚式。
 結婚式の決定について黄道吉日を選定するのは勿論なり、式後直ちに披露の酒宴を催す事を普通とする。
(6) 結婚の費用
 結納に壱百金を要する家は其の他の費用に弐百円はかゝる。男子の場合は更に費用を要する。近来結婚式の料理の代用に菓子類を使用するに到れり。
9、葬式と祭事 館義薀
(1) 死骸に対して
  北枕逆屏風にする事は勿論魔除として死骸の上に一口の剣をおき、室内に猫を入れない。第一夜―納棺の式あり、参集するものは主として近親の者とする。式後配膳する。第二夜―普通々夜として徹夜する。一切の葬儀準備出来、花も出来、親族は勿論村内一般参集し、式後配膳あり。第三夜―葬式を終り、骨を拾ひたる後主として親族の者参集し、式後配膳す。但し小児の場合は其年齢に依りて簡略に行ふ。
(2) 葬式後の祭事
 初七日、三十五日、四十九日、百ケ日、一周忌、二十七回忌、三十三回忌等に祭事を行う。
(3) 葬式の費用
 葬式の費用は主として造花と参集する僧侶の数に関係する。死者の一家に於ける地位に依りて其費用に関係あるは勿論とす。親族よりの香典は勿論、殆んど全村皆香典を贈る風習あり。


昭和初期の葬列(浦河町児島岱三氏蔵)

(4) 村の祭事
 忠魂祭 十月九日
 北山神社祭(泊川) 十七日を以って祭日とす。九月十七日を以って祭礼を行ひ、一月十七日を以て本村独特の古式に係る神事を行ふ。古来この神事を前川の蟹祭と言ふ。村民一殷敬神の念深く、毎月十七日は神社に必ず参拝するの美風あり。八幡神社祭(相沼内) 九月二十五日
(5) 泊川蟹祭の神事の概要
 一月十七日当番ありて毎年交代に広き座敷を選定して此神事を行ふ。神前に供御する料理は十七種、三十四枚の大鉢に盛りて左右二列に配列せる様、また一種の異観たり。材料の主なるものは本村の出産物にして、鰊大漁時代の遺風たる事は、其料理よりして察する事を得、此の神事には必ず蟹の料理を用ふる事を規定せり。其何故なるは古老も尚知らず。されど冬季荒天数十日此神事に蟹を得るに苦心せるものなる由、これ蟹祭の称ある所以なり一家主人皆礼服にて式場に参集、当番者の指定によりて着席の順を定む、上席より順次神酒を配し、謡曲に依りて閉式する。青年男子皆着袴して其間をあっせんし、決して女子を混へず。
(6) 厄年の祝
 男子二十五、四十二歳、女子十九、三十三歳を厄年として、男子の二十五、女子の十九歳は別段祝はざるも、結婚を中止し災厄あるとして総てに注意する風あり。男子四十二歳、女子の三十三歳の時は、其親戚知己は社交的意味よりも、其の人のためにと「樽入」する。厄年の者樽入をされた場合は、親戚知己を招き酒宴を張りて四十二の祝をする。但樽入する前予め厄年の者が其祝する意志あるや否やだゞした上でする。女子の場合は女子連のみ申し合はせてお祝する時には、酒も肴も持参して一切の費用をその人にかけずやる者もある。これ等は厄年といふ迷信よりも、今では社交上の一形式とでも言い得る。冬期間にのみ行はる。
(7) 其の他の方面
 泊川、相沼内共に純然たる社交団体と言ふものはない。然し社交を兼ねたる貯金組合、無尽組合とでも称する小さいものは幾つもある。宗教の方面に関しても社交を兼ねたいろいろな講中はいくつもある。唯相沼内には有閑階級の一部に碁会や俳句会があるが、それもほんの一部の人達に過ぎないものである。
10、雜 北川 正己
(1) 階級分裂ノ趨向
(a)鰊漁業の時代



 当時ハ住民少ナク漁期中多数ノ従業者ハ他地方カラ出稼ニ来タルモノデアル。住民ハ極少数ノ親方トソノ縁故者及使用人トデ、其ノ他ノ者ハ皆無トイッテモヨイ程デアッタ。親方ハ己が縁故者使用人及新米ノ出面取ヲ擁シテ此処ニ華々シク鰊漁ニ取掛ル。漁期終ツテ後、新米ノ出面取中ニハ此鰊漁場ニ嘱目シテ己ガ新生命ヲ開拓セン事ヲ希ッタモノモ少クハナカッタラウ。親方ハマタ実直デ使ッテ損ノナイ若者ナラ何時迄モ手元ニ置イテ働イテモライタイノダ。コヽニ新シイ使用人ガ出来ル。又親方ハ常夫デ妻帯ノ齢ニ達シタ者ニハ、深イ慈愛ヲ現ハシテヤラナイデハ居ラレナイノダ。ソシテ勿体ラシク己ガ姓迄モ名乗ラセル(配遇者ハ一族ノ者デハ無ク殆ンドガ使用人デアッタ)。コウシテ出来タ一夫婦ハ親方ノ徳ニ感銘シテ如何ナル事デアッテモ、終身反セザルベク決心スル。使用人ハ縁故者ニ昇格シタノダ。親方ナル者ハ当時唯一ノ知識階級デアリ、有産階級デアッタ。己ガ殖産ノ為ニ思恩ヲ売ル事ハ頗ル上手ナモノダ。縁故者、使用人等ハ無智デ実直ナ専属ナ苦労者デ感激シ乍ラ親方ノ頤(イシ)使ニ従ッタ。以上ノ関係ヲ持続シ乍ラ双方トモ満足ナ年月ヲ過シタ。
(b)鰊漁業不振以後
 仕込人(債権者)―被仕込人(被債権者)
 此ノ時代ニナッテ従来ノ主従関係ガ完全ニ打崩レテシマッタ。明治四十二、三年頃以降鰊漁不振ニ陥リ、次イデ皆無トナッテシマッタ。唯一人ノ信頼シ切ッテイタ親方ヲ失ッタソノ縁故者、使用人ハ全ク途方ニ暮レテシマッタ。一切親方ニ入揚ゲテ居タノダカラ蓄財ノアルベキ筈ガ無イ。初メテ我ニカヘリ「俺ガ無智デアッタンダ」トツブヤイタ。「今度コソ粉骨碎身シテ独立ノ一家ヲ作ルゾ」ト叫ブ様ニナッタノハ彼等ニ取ッテセメテモノ幸福デアッタ。此ノドタン場ニ好機到来ト新シク登場シ出シタノハ、仲買業、物品販売業ノ一団デアル。「食料デモ漁具デモ何デモヤルゾ、青田デ結構ダ」ト大声ニフレ上ゲタ。乾天ノ慈雨カ彼等ハ溺レル者ハ藁ヲモ摑ム様ニシテ新登場者ニ縋ッタ。コウシテ仕込法ガ盛ンニナッタ。仕込商人ハ仕込品ノ利ト担保品ノ利ト精算時ニ於ケル相場ノ利トノ三利ヲ得ルモノデアッタ(漁獲物ハ最低価格ヲ以テ精算スル)。カヽル有様故、冷飯食連ハ何時迄経ッテモ希望ガ到来シナイ、ソレニゴウヲ煮ヤシテ、親方時代ヨリ以上ノ苦汁ダト怒鳴ッタ。
(c)独立時代(現時)
 全部労働者
 冷飯ノ苦シサニ耐ヘカネテ一家老幼男女挙ッテ財政独立ヲ目標ニシテ大奮闘期ガ始マッタ。男ハ樺太ニ、カムチャッカニ出稼ギ、婦女子ハ自分達ノ力デ留守中ノ生活ヲ維持シヤウトノ決心デ働キ続ケテ居ル。努力報イラレテ昔ノ冷飯食ハ大半遂ニ独立シ得タノデアル。
(2) 政治的団体
 当村民ハ末ダ政治的知識ニ乏シイ。トイフヨリカ寧(ムシ)ロ政治ニ無関心ダト言フ方ガ当ッテ居ルダラウ。公式ノ団体ハ末ダ嘗(カツ)テ組織サレタ事ガナイ様ダ、然シテソノ過去ニ於テハ非公式ノ団体ト認メ得ラレルモノガ存在シタ事ガアル。
(イ)親方ニ統率セラレタ時代 有権者が少数デアッタシ、親方が自分中心トシテノ一団ヲ作ッテ居タノダカラ、ソノ一団ヲ自分ノ意ノマヽニ動カス事モ出来タノデ、有権者モ一括シテ我派ニ投票シタモノデアッタ。当時ハ候補者ガ親方トヨク渡リヲツケタモノダソウダ。
(ロ)現時 階級分裂ノ結果、昔ノ様ナ親方中心ノ団体モ失セテ各人皆自由人ニナッタ事ト、普選法実施ノ結果、有権者急増シタ事トニ依ッテ、政党政派色ハ混沌トシテ一ニ掃スル所ガナイ。残ッタ親方ガ旧事ノ様ニ威令ヲナサントシテモ誰一人相手ニモシナイ。
(ハ)村会議員ノ選挙 国会、道会議員選挙ヤ、国政、道政ニ就イテ無関心ダガ、村会議員ノ選挙ニ対シテハ真剣ダ。ソノクセ村政ニツイテハ関セズ焉(エン)ダ。一切ヲ我ガ村会議ニ一任スルト言フノカモシラナイガ、何故村会議員ノ選挙ニバカリ真剣デアルカ、我ガ村会議員ニ何々仕事ヲシテ貰ヒタイトイフノデハナク、我ガ村カラ前ヨリ何名多クナレバヨイ、何カ村ノ為ニナル事ガアルダロウトノ漠然タル考カラナンダ。村民ニハ政治知識ガナイノダ。熊石村、泊川村、相沼内村ノ三大字村カラ出来テイルノダカラ、部落根性、対抗心モ出来ルダロウガ、ソモ浅墓ナモノデハアル。
(3) 人口移動状況 (省略)
(4) 諸習慣
 習慣トシテ他地方ニ比シ、特異ト認メラルベキモノモナイ。取立テノ言フナラバ次ノ各項目デアロウ。
(イ)村人夫其ノ他 村費計上サレテナイ臨時事業ノ起ッタ時ハ、各戸ヨリ村人夫トシテ一名位ヅツ労力ヲ出シテ事業ヲ行フ。火防見廻リニシテモ同ジコト。他町村ノ様ニ出金シテ専門ノ人ニ任セルトイフ事ハシナイ。
(ロ)交際 礼儀ハ厳イ所ハ見受ケラレナイ。僻村デアリ親類縁者ノ一群デアリ、漁業従業者デアル点カラシテ深クハ責メルモノデハナイガ、時ニハ謹厳ナ所ガアッテ真ノ交際ガ出来ルモノデハナイダロウカ。全ク平素ニ於テハ言葉ノ挨拶許リデ礼ノ交換ハシナイ。ソレダケ親睦ナノカモ知レナイガ、正月ニハ年始廻リヲ絶対シナイ。此ノオ目度イ日ダ一年分トシテ一回ノ礼位ハ改マッテ交換シタラ如何ナモノダロウ。葬儀ノ場合ハ正月トハ正反対ダ。左程縁ノナイ人々マデ詰カケテ夜食トイウ御馳走ノ返礼ニアヅカル。家人共ハ悲シミヲ包ミ乍ラ弔問者ヲ待遇シナケレバナラナイ。説教ヲヤラナイ宗派ノ家デモ弔問者ノタメニ説教ヲ願フ程ニ「人ヨシ」デナクテヨイ。総テノモノニ程度ガアル、ソノ程度ヲスゴシテハ却ッテ礼ニ反スル事ダト私ハ信ズル。
(ハ)食料品ヲ貯蔵セヌ 風ガアレバ次ニ時化ガ来ル。大漁ガアレバ不漁ノ時モ次イデ来ル事ヲ百モ承知デアリ乍ラ、食料ノ貯蔵ヲヤラナイ。殊ニ副食物ニ於イテ然リダ。四、五日荒天ガ続ケバ、又男衆ガ出稼ニ出タナレバ、「何カオカズガナイカ」ト近所ノ家ニ貰ヒニ歩ク、不体裁モ甚ダシイ。
(ニ)夜食ヲ取ル事 朝・晝・夕ノ三食事ガ早スギル。ソコデ就寝前ニ謂ユル夜食ナルモノヲトル。夜食トイッテモ必ズシモ飯トハ限ラナイ。薯デモ菓子デモ何カ腹ニ入ラナケレバ我慢ガ出来ヌノダ。摂食時ヲ改メタラ、三食デ間ニ合フ筈ダ。生業言々ハ言ヒ草ダ。
(ホ)高等小学校ニ入学セシメヌ事 出稼中ノ働キ手ニハ必要カモ知レヌガ、用事モナクブラブライタツラ遊ビヲサセテオクコトハ、児童ノ将来ニ大害ヲ及ボスコトヲ悟ラナイノダロウカ。
(5) 住民ノ風紀
 漁村ハ概シテ農村ニ比シテ風紀ノ悪シキモノデアルガ、当村ハ漁村中デモ良イ部ニハ入ルマイ。左記四項ハ是非改善ヲ要スルモノデアロウ。
(a)賭博・宝(ほう)引 女、小供ガ主トナッテ一銭、二銭ヲ賭ケテヤル最モ幼稚ナモノダ。正月ノ様ナ彼等ノ小使銭アル時ノミ行ハレルラシイ。
●花札 成人ノ行フ賭博トシテ此ノ花札遊ヒニ限ラレテイルトイッテモヨイ程ニ使ハレテイル。家屋敷ヲ失ッタトカ、新ラシイ家ヲ建テタトカ、出稼モセズシテ一年中遊ンデ暮シタトカイフ噂モ時々聞カサレル。困ッタ遊ビデハアル。子供ノ時カラ宝引ヲヤルノガ一番悪イ。
(b)竊(せつ)盗 竊盗ト言ッテモ屋内ニ侵入シテ盗ムトイフ本式ノモノハ極メテ珍ラシク、他村ニ誇ルニイヽダロウ。此所ニ言フノハ屋外ノ小サナ事件ダ。鰯玉何箇カツガレタトカ、粕何枚無クナッタトカ、建築材料ガ不足ニナッタトカ、澱粉ノ樽一樽行方不明ニナッタトカ、コンナ噂ガ次カラ次ヘト頻繁ニ伝ヘラレル。カボチャガ盗ラレタ、金瓜ガトラレタ、果物ガヤラレタ等々。畑荒シモ大流行スル。小供等ヤ通リガカリノ人ガ失敬スルノダカラ割合ニ無邪気ダナドト言ッテハオケマイ。禁漁ヲ犯ス位ハ平気ナモノダ。曰ク鮑曰ク鮭、曰ク盗材「カムチャッカニ傭ヲ売ッテ来タ者ダ、盗マナクチャ損ダ」ト暗々ニ若イ者ニ先輩ガ教ヘテ居ルト言フカラ情ナイモノダ。
 (c)飲酒癖 飲ンデモ悪イコトハナイ。只度ヲ超スベカラズダ。何ントカ彼ントカ理由ヲ付ケテ酒宴ヲ開ク。
危険ナ生業ヲ特ツ彼等ニハ最上ノ愉快ダ。喧嘩、其ノ他ノ失態ヲ演ジナケレバ責メル程ノコトハナイガ、先ヅ酒ニマサル娯楽機関ヲ設ケテ指導スルコトダ。
(d)男女間ノ関係 未婚者ノ事件ハ何処モ同ジクキビシク責メラレマイガ、既婚者ノ中ニ至ッテハ言語同断ダ。「女ヲツクルノハ男ノウデダ」ト言ヒカザストハ無智モ甚ダシイ。出稼ノ影響カ。
(6) 異状性ト犯罪
 当村民ニハ犯罪ヲ犯ス程ノ特異ナル性状ヲ挙ゲル事ガデキナイ。只検挙セラレタルト未発見ニ終リタルトヲ問ハズ、道徳上犯罪トシテ取扱フナラバ、×賄博×竊盗(前項参照)。